上から見るとスカートのチェック柄になってるのか!すごい傘だ…!
柳父(やなぶ)章氏の『翻訳語成立事情』は小著ながら圧巻である。そこには、個人、社会、近代、自由等々の西洋起源の観念をいかにして日本語に移し替えるかに試行錯誤を重ねた福澤諭吉や中村正直など、往時の知識人の苦闘が鮮やかに描き出されている。 日本には存在しなかった観念 インディビデュアル(individual)は現在ではごく普通に「個人」として使われているが、この言葉が導入された頃の日本にはそういう観念は存在しなかった。神や社会に対する究極的な単位として、それ以上は細分化できない唯一の存在といった意味での個人が、かつての日本になかったことは柳父氏のいう通りであろう。当時、日本人は社会の「身分」として存在はしていても、個人としてではなかった。
今年の1月31日をもって、鎌倉にある神奈川県立近代美術館が閉館になった。この美術館は、まだ占領下の昭和26年に生まれたもので、「近代建築」の巨匠、ル・コルビュジェの薫陶を得た筋金入りのモダニストである坂倉準三が設計した「近代美術館」であった。 ≪「近代の終わり」と「新しい中世」≫ 閉館を惜しむ声は多く、最後の展覧会「鎌倉からはじまった」には大勢の人が訪れたが、私もこれまでよく足を運んだこの美術館にこれで最後だという思いで出かけた。2階のテラスでコーヒーを飲みながら、ここからの眺めも見納めなのだなととても残念に思った。会場で見てきた絵画を振り返っていたが、ふと「近代」というものが本当に終わったな、という実感が強く湧き上がってきた。この考えはもう随分前から抱いてきたが、今回の「近代美術館」の閉館はその象徴のように思われた。 第1回展覧会は「セザンヌ、ルノワール展」であった。まさに「ヨーロッパの
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