世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を観光資源として活用するための課題や対策を青函の関係者が共有する「青函フォーラム×JOMONフォーラム」が14日、「プレミアホテル―キャビン・プレジデント―函館」(函館市若松町)で開かれた。縄文や観光分野に詳しい専門家が、観光客に縄文遺跡群の魅力を伝える方法について語り合った。...
北海道新幹線は新函館北斗ー札幌間の建設工事が続けられている。工事は一部で遅れているが、国としては2030年度末の開業時期を取り下げていない。また、並行在来線のあり方を巡ってはさまざまな動きがあり、さらに広域の物流問題も絡んでなかなか今後の方向が見えてこない。そこで今、実際にどこでどのような話があるのか関係者に聞き歩いてみたが、そのうちここでは、北海道新幹線の今後のあり方とリンクする物流問題に関して抜本策として提案されている第2青函トンネルの話題を取り上げてみたい。 青函トンネル内の新幹線 2種類の速度引き上げ 「新幹線」であるにもかかわらず在来線貨物列車と線路を共用する青函トンネルでは、貨物列車とのすれ違い時に地震が発災した際の安全性への懸念から、新幹線開業時には列車の最高速度が時速140kmに制限された。それまでの特急列車の速度に事務的に合わせた規制である。だが、それでは新幹線本来の高速
青函トンネルと並行する「第2青函トンネル」の必要性について、京都大学大学院工学研究科の藤井聡教授(元内閣官房参与)が2日、今別町のいまべつ総合体育館で講演した。トンネル内に貨物用線路や自動車道を通す構想を説明し、交流人口の増加や産業立地による青森県への経済効果を強調した。 第2トンネル建設構想の実現を目指す推進会議(事務局・同町)が主催。町職員ら約150人が参加した。 藤井氏は、本州と九州を結ぶ関門橋や本州と四国を結ぶ瀬戸大橋を例に挙げながら、道路網の接続による経済効果を説明。「本州と北海道は新幹線で結ばれているが、津軽半島では過疎化の影響の方が大きく、効果が見えにくくなっている。自動車のトンネルが完成すれば、発展の余地が出てくる」と述べた。 物流網の強化に伴い、災害時の被害軽減や食料自給率向上にもつながるとし、「第2青函トンネルは地域を発展させるだけでなく、国益につながり、日本を救うこと
出典:日本プロジェクト産業協議会 公開資料1988年に開業した青函トンネル。現在、「第二青函トンネル」の実現を目指すための新たなプロジェクトが動き出している。 2023年7月に「第二青函トンネル構想実現推進会議」が設立され、北海道側の福島町と青森県側の今別町の担当者が出席して会議が行われた。この様子を青森テレビが報じており、今後各自治体の連携が強化されるという。 現在は民間の建設会社などで構成される協議会などが、複数の建設案を提案している段階で、どうやら一般社団法人「日本プロジェクト産業協議会」(JAPIC)のプランが実現の可能性が高いとされているという。 このプランによれば、トンネル上部は自動運転専用自動車道、トンネル下部は貨物列車専用とすることが盛り込まれているという。 ■建設費概算7,200億円の大規模プロジェクトプランによれば、工期は約15年、建設費は概算で7,200億円となってお
【福島】町民や建設関係者らでつくる期成会「第2青函トンネル構想を実現する会」(会長・鳴海清春福島町長)は10日、町福祉センターで総会を開いた。第2青函トンネル構想の実現を目指す期成会が本州側の入り口に位置する青森県今別町に設立されることを踏まえ、青森側と連携した要望活動を目指す方針を確認した。...
青函トンネルが開業。津軽海峡を抜けて青森側トンネルを出る一番列車の特急「はつかり10号」 =1988(昭和63)年3月13日午前8時42分、本社ヘリから 津軽海峡の海底を通る青函トンネルは13日、開業35周年を迎えた。北海道新幹線や貨物列車が走り交通、物流の大動脈となっているが、設備は老朽化し、補修コストが5年前と比べ倍増。地元などでは経済の起爆剤として「第2トンネル」建設構想に期待が集まるが、膨大な予算が必要で具体化には至っていない。 鉄道建設・運輸施設整備支援機構によると、青函トンネルは1964年に掘削が始まり、88年3月に開業。全長53・85キロで、2016年3月には北海道新幹線の新青森―新函館北斗が開業した。 青函トンネルに入る北海道新幹線=2016年3月、青森県今別町観光や物流の活性化をもたらす一方で、塩水が浸入し、湿度が高いといった海底トンネル特有の環境が影響し、内壁のゆがみや
道や国に整備効果訴えたい 福島町が先頭に立つ JAPICが北海道側坑口の候補地とする福島町では「第2青函トンネル構想を実現する会」が2019年に発足した。「以前は第二青函トンネル構想について議論する雰囲気はなかったが、北海道新幹線開業などを経て、ここ数年で少しずつ機運が高まっている」と会長を務める鳴海清春町長は話す。 会員は22年11月時点で約780人。建設業関係者や商工会役員らが重要ポストを務める。新型コロナウイルス感染拡大の影響でしばらく活動は下火だったが、今後は各所で講演会などを企画し、整備の意義や重要性を訴える考えだ。 鳴海町長は「31年がこの構想の潮目かもしれない。東京―札幌間が新幹線で結ばれ利用者が増えると、速度などの問題がより浮き彫りになる」と予測する。そのときに迅速に動けるよう「期成会などを発足し、地元の機運を高めることが大切」として、いち早く活動をスタートさせた意図を説明
本道と青森側、機運に「温度差」 訪日客増で可能性も JAPICによる第二青函トンネル案で、青森県側のトンネル起点とされている外ケ浜町。山﨑結子町長は、県内での建設への機運は高まっていないとみている。 2017年に初当選し、現在2期目。「町民と話をしていても第二青函トンネルに関する話題はほとんど出たことがない」という。「北海道側からすると、本州との接続が非常に重要だということもあり、道の皆さんは自分事としてこの事業を捉えられているのでは」と分析する。 福島町のように建設への機運を高めるような具体的な動きもなく、「よほどのことがない限り、このままだと思う」と続ける。 第二青函より先に地元のインフラ整備が課題だ。県内の高規格道路は事業途中や計画段階の事業が多い。「トンネルはあったらいいと思うが、もっと先にやることがあるというのが、県内で盛り上がりに欠ける一番の理由だと思う。特に原発など国内のエネ
始まりは一人の函館市議の理念から 共通意識形成へ声を広げよう 青函トンネルの建設で青森県内にはどのような影響があったのか。青森県外ケ浜町にある青函トンネル記念館の工藤幸治館長は「工事の最中は景気も良かった。実家の商店にはいつも作業員が来てくれた」と振り返る。 施工費は「当時の金額で6890億円ほど」といわれる青函トンネル。経済効果は地域に広く行き届いた。1964年に掘削を開始し、85年に貫通。88年に供用開始した。 青森県旧三厩村で生まれ育った工藤館長は、青函トンネル建設によるまちの移り変わりをじかに見てきた。「作業拠点の三厩村にあるたばこ屋が、当時日本一売れている店だという話もあった」 作業員の羽振りは良く「70㌔くらい先にある青森市内まで毎晩タクシーで飲みに行く人が大勢いた」と回想する。 工事には延べ約1370万人が携わった。これは当時の東北6県の人口の2倍に相当するという。最大で同時
北海道新幹線の開通から間もなく7年を迎えようという中、第二青函トンネルの整備を求める声が少しずつ広がりを見せている。札幌延伸を控える新幹線がその性能を十分に発揮できるようにするとともに、自動車による物流、観光の促進へ期待がかかる。青函トンネル開通から35年の節目となる2023年を迎えるにあたり、実現への道筋について青函双方のキーパーソンに見解を尋ねた。(4回連載します) 物流に多用途トンネル必要 全道、東北も巻き込み活動を 函館建設業協会は第二青函トンネルの整備を支持する団体の一つだ。21年には函館市内の建協事務所に実現を訴える看板やのぼりを設置するなど、PRに力を注いでいる。 同建協は現在の青函トンネルの貨物列車との供用走行による新幹線の速度制限や、コストの高い海上輸送に頼らざるを得ないトラック物流などの課題を指摘。森川基嗣会長は「トンネル自体も着工直後から見ると50年以上が経過し、老朽
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