運動の中で女性を搾取することについての批判は、以前から何人もの人が指摘してきたことだ。 田中美津『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』でも、「「想えば女は新左翼内部においてもメスとして存在してきた。(…)「革命家」ぶった男の活動資金稼ぎ、さらには家事、育児、洗濯など氷山の見えない部分にあたる重たい日常性のほとんどを、暗黙の暴力をもって押し付けられてきたのだ。(143頁)」という記述がある。 運動は誰を犠牲にして成り立っているのか。 「活動家」としては「すばらしい」と言われるひとが、影で誰かを搾取し... > このページを見る
最終更新時間:
2009年11月09日01時18分
みんなのブックマーク 人気(0) 新着
- “「左派」だからといって信用できるわけではない。” そのとおり。しばらく読んでなかった大変なことに。コメントできないので、ここで、うさエール。
- "「左派」だからといって信用できるわけではない。自分のなかにある「左派」への幻想は捨てることにする。"
- 「主張・思考の妥当性」と「人格の信用性・信頼性」はやはり基本的に別フェイズの話なんだと思う。加藤周一も指摘していたフレーゲの反ユダヤ性の問題とかも参考になると思う。
- 「『人』のため、ただし女性は『人』の適用外」と言われたら、やっぱりその瞬間は絶望する/「女性に属する人間の存在」は、どうしてこんなにも状況や時事によって認識の有無がわかれるんだろう。
- 「○○好きに悪い奴は居ない」と言う妄言.特定の思想に熱心なメンタリティ程確信犯になると言うのに.
- 個人の哲学として人権思想を採用すべきだという考えにはまるとこうなる。結果、あるべき人物像が集約してっちゃうんだよなぁ…
- 「左派」だからといって信用できるわけではない。自分のなかにある「左派」への幻想は捨てることにする。








