かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。 神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。 東大の仏文も定員割れが常態化している。 理由はいくつかある。 英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。 フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。 文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと。 語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。 などが挙げられる。 理由のうち最初の二つはグローバルな事情があってのことであるから、私どもが個... > このページを見る
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2006年12月01日14時01分
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- "文化資本というのは実在するものではない...貨幣や威信や情報が実在するものではないのと同じこと...貨幣はそれを「貨幣だ」信じる人が存在するときにのみ存在する...信じる人がいなければ、それはただの紙切れである"
- 以前某大学の仏文科は歓送迎会をフランス料理屋のフルコースで行うと聞いて、そこらの安居酒屋でやるわが学科の連中はその優雅さにとてつもない劣等感を味わわされたものだったが…。
- 仏文以外のいろんな文学科は全体として人気あるの? 文学科は文学と言うより書物にみる文化なのだと思ってる、そんな私は理系にんげん / 高校の時に漢文の先生が仏文科卒ってきいた。 漢文の人気は今どうなの?
- 大学の受験科目に「教養」を追加すれば問題ない
- ”たまたま権力や威信を保持している人間を、下から羨ましげに見上げたものたちの眼に「差別化の秘密」としてたまたま「教養」が映じたので、それが文化資本となったのである。”
- 内田樹の研究室
- 最後の方意外は面白かった。科挙のくだりはなんかジョークかなんかでしょうか?センセイはブログはエントリ単位で読まれることに留意してくれないのだろうか。
- 科挙制度
- 共同幻想=文化資本としての教養が崩れ去った、と。/自分の教養コンプレックスはどこからきてるかなぁ。
- グランゼコールじゃなくて科挙?
- 面白い
- そうだった... > つまり、「それが自然に身についてしまった人」と「それを見よう見真似で習得しようとする人」のあいだの「わずかな、しかし決定的な違い」のうちに文化資本の資本性は存する。
- おそらく大学生の学力低下と教養の衰退はどこかでつながっているのかも。
- あー、なるほど。そういう試験を課した方が「わかりやすい」もんな。
- これは遊んだな。たしかに今の政治家や官僚に本当の教育云々言えるほどの教養はないだろうなあ。痛烈な皮肉だこと。
- "教養が文化資本ではなくなった理由も、だから簡単である。現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである。"
- 文化資本について
- 教養が社会資本でなくなった。
- 情報が増えている中で,糞の役にも立たない「学問」の存在意義が問われている・・・のかな?
- 「教養が文化資本ではなくなった理由」は「現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないから」









