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この夏最後の出稼ぎツアー (内田樹の研究室)

「県立学校2年次校長学校経営研修講座」の講師に招かれて、兵庫県立教育研修所というところに出かける。 御影から六甲山に登って、トンネルで裏へ抜けて、中国道を20分ほど走って滝野社ICで降りて、10分くらいのところにある。 県立高校の校長先生たち相手の研修である。 今年の夏はずいぶんいろいろなところで学校の先生たちを相手の講演をやった。 舞子での兵庫県私立教員研修会、兵庫県教組宝塚支部の8・15集会、大阪府教組の研修会、神戸海星での兵庫県学校図書館の会議、それから今回。 お相手も中堅教員、教組組合員、司書、... > このページを見る

最終更新時間: 2007年09月21日15時54分
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  • ”人間は不注意から愚鈍になるのではない。愚鈍さはつねに努力の成果である。”/「やりがいのある仕事」について 2009/02/04
  • この部分、納得→「自分の努力が固有名での達成としてはカウントされず、集団で(それもろくな働きをしていない人間も含めて)分配しなければならないという『不条理』が理解できない」 2007/09/26
  • この人の労働観は、周囲の人間が自分より優れていないように見えるケースを前提としている。おいらが彼の労働観を好きになれないのは、その前提にある失礼に彼自身が無自覚だからなのかも知れない。 2007/09/26
  • も、彼がシステムを救ったという事実は前景化しない(「何も起きなかった」というのが彼の達成したことだからである)。 2007/09/26
  • も、彼がシステムを救ったという事実は前景化しない(「何も起きなかった」というのが彼の達成したことだからである)。 2007/09/26
  • だとしたら、「やりがい」主義は受験戦争が緩和されたこの10年でかなり衰退しているはずだが、むしろ強まっているように見えるのはなぜだろう?この議論の背景にある思想について書こうかと思ったが字数が尽きた。 2007/09/25
  • 『「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。』 2007/09/25
  • 不思議な労働観が生まれた背景は受験勉強の経験→それだけではない。企業が人件費を抑える名目で、形だけの成果主義を導入したことも原因にあるのでは? 2007/09/25
  • あとでもっと考える。 2007/09/25
  • 「個人的努力の成果を占有できる」ということは、裏から言えば「リスクを全部一人で負わなければならない」ということである 2007/09/24
  • 教育論 2007/09/23
  • 現在の企業では「なんでボンクラ上司を養わなきゃいけないんだ?」という心情が蔓延してることも考慮しないと。若い世代の労働観の変化と、定年まで逃げ切ればいいというオヤジどもによる環境の悪化の相乗効果。 2007/09/22
  • 「私たちが労働するのは〜生き延びるためである」。けだしシンプル。そしてシビア。 2007/09/22
  • 「やりがい」の意味の変化 2007/09/21
  • 成人の労働の本質は、個人の努力が集団の達成に読み替えられる変換のうちに存する 2007/09/21

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