「メディアと知」というタイトルの授業をしている。 メディア・コミュニケーション副専攻の学生15名対象の半期科目で、私の後の半年は江弘毅さん、そのあとの半年は関川夏央さんと続く。 一年半にわたってこんなに濃いメンバーにさらされたら、学生たちはどうなってしまうのであろうか。想像するのがコワイ(そればかりか、学生たちのうちの何人かは四月から内田ゼミである。彼女たちの繊細な知性はこのシュトルム・ウント・ドラングに耐えられるであろうか)。 先回のお題は「メディアと身体」。 同一タイトルで三人の学生に10分ずつのプレ... > このページを見る
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2008年01月13日10時59分
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- ”、学生たちは「情報化」プロセスからは「間髪を容れずに」目をそらすべきことを刷り込まれていたということである。”
- 人はみな何かから目を背ける。でも、自分が何かから目を背けているという当の事実は主題化されない
- 「情報化プロセスを起動してはならない」というのはすでに情報化が行われているということである(だって、当事者たちは「情報化」というのが何であるかを「まだ知らない」にもかかわらず、「間髪を容れず」にすでに
- 『「情報化」プロセスからは「間髪を容れずに」目をそらすべきことを刷り込まれていた』
- これが意外に面白かった。
- うーむ。この内容で意見を言ってもロールシャッハテストにしかならないなあ。続きを読んでから考えよう。無知が知性の一つのかたちとは興味深かった。しかしなんて豪華な教授陣。
- なるほどと思いつつ違和感を禁じ得ないのは、人にとって情報化のプロセスなど、鶏や魚をさばいて料理にするプロセスほどにも身近であったことなどかつて一度たりとしてなく、その事に学生が無関心なのは当然と思うが
- 『生存戦略上必要な能力は(略)「不快であるか快であるかがまだ判定できない対象について、快不快を判定できる能力」である』( ..)φメモメモ
- 『「情報化」プロセスからは「間髪を容れずに」目をそらすべきことを刷り込まれていた』なるほど、と思う。



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