卒論を四年生たちは全員無事にご提出されたようである。 めでたし、めでたし。 最後のゼミで、ひとりひとりから卒論の自己採点をうかがいながら、私の感想を申し述べる。 読んでわかったことがある。 それは、学生諸君は卒論において個人的に切迫した問題に迂回的に触れている、ということである。 なもん当たり前じゃないかと言うなかれ。 そうでもないよ。 というのは、ご本人にとって切迫した問題に触れているなら、どうしてその卒論主題を選んだかをすらすらと言えるはずである。 それが意外なことに、それを自分では言えないのである。... > このページを見る
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2008年01月17日11時39分
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- "「この問題にはみんなも関心を持っているに違いない」という「ふつうの選択」において個性は際だつ/「ふつう」を通じて諸君の「唯一無二性」はもっとも鮮やかにその輪郭を表す”
- 『それが「自分にとって切迫した問題である」ということをご本人が意識していないのである。』
- 意外なことに、個性というのは「私ってこんなところが変わってるでしょ?」というかたちでは決して表現されず、「これが『ふつう』よね?みんな、そうよね?」という無反省的な確信を通じて露呈するのである。
- 「制服を着ると画一的になる」とか言う声の方がよっぽど画一的な思想であります故。
- 『学生諸君は卒論において個人的に切迫した問題に迂回的に触れている』この辺割と自覚してたな自分は
- その論題を選んだ「ほんとう理由」を意識化すことに強い抵抗が働いている場合、問題の本質に近づくたびに議論は必ずあらぬ方向に逸脱する/みんなが見ている『ふつうのふりをしている私』」とはどういうものであるか
- これから卒業する諸君に申し上げたいのは、「心おきなく『ふつう』にしていなさい」ということである。 諸君にとっての「ふつう」は諸君のいちばんすなおな演技であり、けれんのない作品であ
- これから卒業する諸君に申し上げたいのは、「心おきなく『ふつう』にしていなさい」ということである。 諸君にとっての「ふつう」は諸君のいちばんすなおな演技であり、けれんのない作品であ
- > そして、「この問題にはみんなも関心を持っているに違いない」という「ふつうの選択」において個性は際だつのである。
- 自分らしさや個性を得るために脱却したい「ふつう」と、周りと比較して納まっていたい「ふつう」という枠の中。人それぞれトラウマや葛藤があるから自然体を受け入れるって結構大変。でもそっちのほうが楽そう。
- 自分の基準と他人の基準との相違こそが個性なのだが、感覚としての『自分の基準=ふつう』と、言葉の意味としての『ふつう=没個性』が混じってしまい個性を個性と見なせないと ふむふむ納得
- 「自由に書いていいよ」というようなことを言ったら、学生たちはそれぞれの「個性ゆたかな」ものを書いてくるであろうが、それはしばしば死ぬほど退屈なものになるリスクがある。
- 「個性的に自由に踊れ!」→タイクツーつまんねー 「ラジオ体操第一やるよ!」→意外とそれぞれ差異が出る。それが愛すべき個性。「ほんとうの自分」という牢獄(幻想)から解放されると呼吸楽になるぜべいべー
- 『そして、「この問題にはみんなも関心を持っているに違いない」という「ふつうの選択」において個性は際だつのである』









