昨日、送稿した教育についてのエッセイの最後を私はこんなふうに結んだ。 教育再生のための方法として私から提言できることは一つだけである。それは教育現場から消費文化のイデオロギーを一掃すること。さしあたり、ビジネスのワーディングで教育を語る人間(メディアで教育を語っている人間のおよそ半数はそうである)にすみやかにご退場願うことである。もちろん、誰もそう簡単にはご退場くださらないであろうから、私はこうして機会あるごとに懇願しているのである。 家に帰って夕刊を開いたら立命館大学での「転部応募」の話が一面に掲載され... > このページを見る
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2008年04月15日10時52分
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- 立命館の新設学部大幅定員超過による転籍募集について/“教育活動を続けるために経営の工夫をすることと、より大きな収益を上げるために教育活動に工夫を凝らすことはまるで別のことである”
- 「学生納付金を最大化し、かつ助成金も交付されるぎりぎりの数値まで入学者を読み切る技術」は「在庫管理」技術の単純な応用であるからそのような大学では高い評価を受けるであろう。
- 理事会がビジネスマインドなら下はそれに従うのみ。学生という顧客に対するCSはちゃんと管理してるだろうから、労働者側の士気低下と健康問題とかが課題になるのかな、今後。
- それでも立命館大学はそのブランド力によって来年度も受験生が集まるのであろう。転部というのは「…についての教育を受けたい」という受験生の意思を踏みにじる行為であり、教育機関として最低である。
- 教育現場から消費文化のイデオロギーを一掃すること。さしあたり、ビジネスのワーディングで教育を語る人間にすみやかにご退場願うことである。
- 教員・教育の質についての言及が一切ない。人数が多いと満足のいく教育は出来ない?ならぎりぎり一杯で得た黒字で新たに教員を雇えばいいのでは?結局管理部門は教員に任せては経営が危ないと判断したのでは?
- 『学生納付金は最大限徴収し、かつ助成金も受け取るのが「よいこと」だというのはビジネス的には「常識」である。』←それはビジネスの「常識」ではないと思う
- アメリカの大学は資産運用のために村上ファンドにお金を預け、日本の大学は小銭を稼ぐために学生を在庫管理する。
- ゼミの飲み会で岡野先生もよくボヤいてたもんな。客寄せばっかして、教育の質を考えてないって。
- 同感.その通り.
- 専門学校が淘汰されてくからその役割を大学が負わざるを得ない方向へ。
- > けれども、教育活動を続けるために経営の工夫をすることと、より大きな収益を上げるために教育活動に工夫を凝らすことはまるで別のことである。
- 「彼らには「私たちのやりたい教育」などというものはない。」
- たてまつ:立命館大学への批判記事。中にいる人間でも上の方のことは見えないもんですね。









