久しぶりのオフなので、家で仕事。 PHPのインタビュー原稿を仕上げて送稿。AERAの原稿を仕上げて送稿。続いて、レヴィナス『困難な自由』の三校。日がとっぷり暮れた頃にようやく終わる。 これでおしまい。 ゲラの奥付を見ると、7月15日発行となっている。 ずいぶん遅れてしまったものである(ひとごとではない)。 それでも、秋には本になるはずである。 改訳の作業を始めてから10年かかったことになる。 日経新聞から八王子で起きた無差別殺人事件についてのコメントを求める電話がかかってくる。 繰り返し書いているとおり、... > このページを見る
最終更新時間:
2008年07月25日13時44分
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- "メディアの人々は「自分たちには報道する義務があり、権利がある」ということをよく言う。しかし、彼らはメディアのほんとうの力が実は「報道しない権利」によって担保されていることを忘れている。"
- パラシオスの例が明らかにしていることは、人を騙そうとするなら、示されるべきものは「覆いとしての絵画」、つまりその向こう側を見させるような何かでなければならないということである。
- 「報道しない権利」理解できてないから、使えないのだろうな。
- その犯罪にコメントすることで憎悪の連鎖に巻き込まれてしまう。マスコミのような一方向のものは特に。webは双方向のようでもあやうい。犯罪より一ランク上の次元での沈黙。頭の上にゾーリをのせて黙って合掌する
- 微妙にいいたいことがわからん。。
- 『メディアの人々は「自分たちには報道する義務があり、権利がある」ということをよく言う。 しかし、彼らはメディアのほんとうの力が実は「報道しない権利」によって担保されていることを忘れている。』
- でもブログには書くのね








