死のロードの最終日一日前。 楽しい合気道のお稽古。 なんだかやたらたくさん人が来ていて、40人近くいる。 このところ、みんな上り調子なのである。 合気道がおもしろくてしょうがないという顔をしている。 たぶん、きっかけの一つは「握らない一教」からである。 正面打ち一教、とくに裏のとき、腕の力を使いがちになる。 これがどうもよくないのだけれど、なかなか修正が効かない。 がばっと相手の肘を握って、引き倒すようなかたちになると、「斬り」にならない。 原理的にいうと、ものを「斬る」ためには刃筋がつねに体の正中線上に... > このページを見る
最終更新時間:
2008年11月30日10時35分
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- "「大量の貨幣」は「より合理的に生きられる」ことを保証しはするが、「何が何でも生きられる」ことは保証しない。 それは「タイタニック号沈没のとき」とか「ゴジラ来襲のとき」を想像すれば子供にもわかる。"
- 私たちの社会は「合理的に生きる技術」を教えることには熱心だが、「何が何でも生き延びる技術」を教えることには教育的リソースをほとんど投じない。
- 「できるだけ楽に生きる」技術体系と「何が何でも生きる」技術体系は異なるため、それぞれの訓練方法も異なる。
- しかし握らないでオナニーというのは難しい
- 足し算と引き算は違うという話。引くという概念がどこにもないから足すほどにいろいろ歪になっていく
- 生き延びるための稽古
- 私たちの社会は「合理的に生きる技術」を教えることには熱心だが、「何が何でも生き延びる技術」を教えることには教育的リソースをほとんど投じない。 だから、「全力を尽くさなければ生き延びることができない状況
- 理解が浅いかも知れませんが,脱力による「強力な」受けと誘導は,推手をやっている方が理解しやすいのではと。奇しくもここの方法はそういうことかと。初心者の手刀理解は合気の場合,難しいと思います。
- 「私たちは「できるだけ楽に生きる」技術と「何が何でも生きる」技術を同時に学ばなければならない」
- このエントリーにこのタグをつけるのは私くらいなんだろうな、とか思ったり。 / 一教で肘を把持しないでやってみる、というのは良い稽古だと思います(「引っ掛ける」ことが出来ないから、肘の屈曲が抑制される)。
- 「合理的な生き方」と、「最大限の力を発揮する生き方」は、どちらも必要であるが、訓練のやり方が違う。/(金がない→絶望)そういう考え方が「あり」だと思っている人たちは「骨の髄まで合理主義者」なのである。
- 私たちは「できるだけ楽に生きる」技術と「何が何でも生きる」技術を同時に学ばなければならないのであるが、この二つは別の体系に属している
- "武道は「楽に生きる」ための技術ではない。最短時間に最大エネルギーを支出できる「回路」を形成するための技術である。" "「合理的に生きる」技術と「何が何でも生き延びる」技術は目的が違い、訓練法が違う。"









