今週も忙しい一週間であった。 月曜、部長会、ゼミ、杖道稽古。 火曜、三宅接骨院、BP取材(村上春樹論)、ゼミ、指定校説明会でお詫びと講演(変なの) 水曜、新大阪の歯科で歯の治療、下川先生お稽古。 木曜、教育実習生の受け入れ校の問(啓明学院で尾崎校長と久闊を叙す)、光安さんのところで夏仕様に髪切り(ほぼ丸坊主)、メディア・コミュニケーション演習。 金曜、静岡県立静岡高校で社会科教員のための研修会で講演。 教育関係の講演がこのあともしばらく続く。 「教育現場から市場経済の思考と語法を一掃せよ」と書いたせいで、... > このページを見る
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2009年06月27日11時33分
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- 繰り返し言うように、教育の本義は「子どもたちを共生と協働を果たしうるだけの市民的成熟に導くこと」である。
- 子どもを成熟させるために何が必要か、それを問うのである。 それだけを問うのである。 そう問うたときに、「ほんとうの大人」であれば、自身の未熟を深く恥じるだろう。
- 「学校でのテストの点数は「その意味や有用性がよく理解できないことを黙って学習する能力」の指標である。 これはまぎれもなく、市民的成熟への一階梯である。 けれども、それ以上のものではない。」
- 拝聴。
- 8/10pt『教育の本義は格付けや選別や排除や標準化ではない』こういう正論を言う人が減っちゃったんだよな。『子どもが子どものままにとどまっていることを許した共同体は人類史上一つも存在しない』韓国とイタリア?
- G
- 内田樹
- 初等教育においては「言われたことをやる」能力が「言われても納得できないことは拒否する」能力よりも優先する。 六歳の子どもに「拒否権」を認めたら、たぶん相当数の子どもは学びを選択しないからである。
- 教育の本義は格付けや選別や排除や標準化ではない。 子どもたちを生き延びさせることであり、同時に共同体を生き延びさせることである。
- 「(教育の本義は)子どもたちを生き延びさせることであり、同時に共同体を生き延びさせることである」/共生と協働とをなし得る人になること。
- "大人がつねに自分の未熟を恥じる文化からしか、子どもを成熟に導くメカニズムは生成しない"
- >大人がつねに自分の未熟を恥じる文化からしか、子どもを成熟に導くメカニズムは生成しない。
- 「テストの点数が「上がったり、下がったり」することこそが子どもが健全に成熟していることの指標なのである。「上がったまま」も「下がったまま」も成熟停止を告げるアラームである。」
- で、その理想は「いつ」実現してたのか?? 保守反動らしいご意見。
- その原点こそが『読み、書き、そろばん』という基礎的な文化資本の習得である、と考えたのが橋下先生以下なのでは?それ抜きでは成熟から、共生・協働から排除されるぞ、と(現にされてるぞ、と)。
- ”教育の本義は「子どもたちを共生と協働を果たしうるだけの市民的成熟に導くこと」”内田先生はことばにしにくいことをことばに直せる人だよなぁ。
- むしろあまりに長期にわたって、「学校のテストの点数」を安定的に高く保っている子どもがいたら、その子どもはどこかで成熟の行程が停止している可能性を吟味した方がいい。









