ひさしぶりに(ほんとうにひさしぶりに)日曜の午後にぶらりと能を見に行く。 長田の上田能楽堂で神戸観世会。 能は『東方朔』と『花筐』。仕舞で下川先生の『山姥』と家元の『井筒』を見ているうちになんだか、急に稽古がしたくなる。 家に戻って、『考える人』のアンケートに回答。 「インターネットと出版と著作権」について。 いつものようなことを書いて送る。 質問のうちに、これまで考えたことのなかったことがあった。 ひとつは「読む媒体」としてネットは使えるかという問い。 私の答えは以下の如くである。 「個人的な趣味で言え... > このページを見る
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2009年09月14日11時32分
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- 正にこれだ。カスラックのCMを聞いてると音楽家は金のことだけ考えて創作しているように言っているがそんなのアーティストじゃないしね。著作権の概念を一番歪めているのは著作権団体。
- >「ひとりでも多くの読者に私の書いたものを読んでもらいたい」という書き手の本来的欲求が軽視(ほとんど無視)されている>
- >(略)テクストの「経済」ばかりが論じられ、「ひとりでも多くの読者に私の書いたものを読んでもらいたい」という書き手の本来的欲求が軽視(ほとんど無視)されていることにある。>
- "新聞は『読む気がないのに目に入る』情報があるけれど、ネット上の情報検索では『読む気のある情報』しか目に入らないことだと思います""ほんとうに書きたい人は『書くな』と言われても書きます"( ..)φメモメモ
- いつもの話。
- “ジャーナリズムとは何か”と“広告媒体とは何か”の問題につながっている気がする。食ってゆかなきゃいけないけど、その方法が問題なのだ、というのにも
- "私は本は商品ではないと思っている。 私にとって用事があるのは私の書いたものを読む人であって、本は購入するが中身は読まないという人に、私の方からは特段の用事はない。 こう考えるのは間違っているのだろうか"
- >本の商品性を強調すれば、いつか「買わないけど、読む」という読者よりも「読まないけれど、買う」という購入者の方を優先するようになる。
- 著作権









