あまりに忙しくて日記を更新する暇がなかった。 月曜から大学が始まった。会議が三つと授業が一つ。 火曜日は昼から夜まで卒論の中間発表会。14人分の卒論についてお話しを聴き、質疑応答。6時間かかった。 今年の特徴というと、「実務志向」という点である。 私のゼミはご案内のとおり、ひとりひとりの学生が自分の興味のあることを調べて、分析するというただそれだけである。 個別的な領域についての知識や情報を蓄積することが目的ではない(そんなものは、彼女たちの人生にほとんど役に立たない)。 卒論の最大の教育効果は「どうして... > このページを見る
最終更新時間:
2009年10月02日10時26分
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- 「それは成熟しなければ生き残れないだけ生きるのがむずかしい社会になってきたということである」
- 「まず「教えたい」という「おせっかい」があり・・・」
- ◎
- 「教わりたい」というニーズの創造
- 内田先生の文章からは教えたいというおせっかいがひしひしと伝わってきますからねえ。説得力があります
- 教える、教わるということ
- "卒論の最大の教育効果は「どうして自分は『こんなこと』に興味を持ったのか」、その理由について長期的に(うっかりすると死ぬまで)考えなければいけない点にあると私は考えている"
- 人にものを教えるってことを考えさせられる。
- まず「教えたい」という「おせっかい」があり、それが「教わりたい」というニーズを作り出すのである。
- 「21世紀懐徳堂プロジェクト・ナカノシマ大学」
- 教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った。
- 教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った。
- 「教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った」
- どうして正論どうりになってくれないのか。
- 卒論
- 教えるということは惜しみなく与えるという点で愛に似ている。
- 最近セミナーとか異種交流会とか勉強OFFとか多いけど、これらが今の時代の松下村塾になるんじゃないかと思ってる
- "まず「教えたい」という「おせっかい」があり、それが「教わりたい」というニーズを作り出すのである。"
- <でも、「合気道を教わりたい」という人が何人か集まって三顧の礼を尽くさないと「教えない」というようなことを条件にしていたら、合気道は永遠に普及しない。>









