月曜日。珍しく、ふつうの月曜。 朝、下川先生お稽古。昼の部長会がなくなったので、授業の時間まで家事(カレー作り)と原稿書き。 それからゼミ。杖道の稽古。 帰宅してカレーを食べて、寝ころんで『鴨川ホルモー』を見る。 最初は「大学実名」でわくわくしたけれど、CGが出てきてから、急速につまらなくなる。 日本映画はもうCGを使うのを止めなさい。 なんか「手抜き」という感じ。 山田孝之くんは『クローズzero』での怪演に比べると、ちょっとトーンダウン。栗山千明ちゃんも『キルビル』での怪演に比べると(比べるなよ)。 ... > このページを見る
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2009年11月06日19時38分
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- >養老先生によれば、ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。
- 学校の虚構性
- 制服が決めてあったり、時間割があったり、煩瑣な「どうでもいい規則」が定めてあるのは、そこが現実の合理的判断が適用できない場であるということをダメ押しするためである。
- 虚構といってもバイアスかかりまくりなわけで。cf 「国語教科書の思想」とか
- 学校の虚構の構造だが、確かに西洋の高等教育機関のはしりはプラトンやアリストテレスのAcademia, Lyceum などではなく、ゴルジアスやイソクラテスの詭弁家の文法学校だったそうだから…。
- 学校の虚構性について。虚構だからできること。
- 「たとえば学校というのは通常「装飾性のつよい、ことごとしい建築物」であるが、これはそこが「非現実的なことがなされる場」であることを子どもたちに印象づけるための仕掛けである。」
- 小学校高学年以降に限定するなら、頷けるかな。10歳ぐらいまで教師を疑うことはほとんど無かった。
- 十代の内田氏がこれを聞かされていたら納得しただろうか?
- 国語教育だけは変えた方がいい。いやまじで。
- 学校=虚構、という指摘が面白いと思いました。具体的なイメージがわいてこないので、是非詳しくお話を聞いてみたい次第。
- いいたいことはよく分かるし、頷けもするけど「日本の子どもたちの学力は世界最低レベルにまで劣化した」てのは端的にいって間違い。(参考→)『学力低下は錯覚である』http://www.amazon.co.jp/dp/4627975112
- 慧眼。ただ、演じてるという自覚がない教師は非常に厄介。
- 学校=劇場という枠組は、学校の先生の人間臭さ等がすっと理解でき面白い。しかし先生が罪を犯すと「先生なのに…」とレッテルが貼られるように、現実と完全に分離されている訳ではない所に教育の妙味があると思う。
- 「学校は一種の劇場である。 そこで教師たちは「教師たちの役」を演じているのである。」(あらま、江さん、中島さんの名前がでてきてびっくり。)
- "人間が知的ポテンシャルを一気に向上させるのは、「自分が何をしているのかよくわかっている」ときではなく、「自分が何をしているのか、よくわからない(でも、もうすこしでわかりそう)」ときである。"
- 人格発達とその舞台装置、のお話/term「儀礼」:>「学校の虚構性」を構築している制度的装飾>/
- 「学校とか医療とか宗教とかは、その基幹的なところに「儀礼」が入り込んでいる。 その儀礼的な部分が制度の惰性をかたちづくっている。」「学校は一種の劇場である。」学校はネタだったのか。
- 代替があるかのように見せて結局破壊しかなかった
- 学校は他の現実社会とは異なる、いわば「儀礼の場」。子供にその場で「よく意味がわからないこと」をやらせ、聞かせ、学ばせることで子供は葛藤し、成長につながる。









