ああ~授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。 というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。 私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。 引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。 だが、約束した以上は行かねばならぬ。 讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。 お題は「教養... > このページを見る
最終更新時間:
2009年11月11日22時19分
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- scan/read/古人は経験的に、この作業を経由しなければ「言語の意味」を解するという次のレベルにはあがれないことを熟知していたのである。
- 楽しーい。大瀧詠一「成瀬巳喜男」を論ず、の図/>映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ>/書もまた、音楽もまた/見:⇒ええ、'知とマジメに戯れる'もの、かと。「関わる」「'内語的に対話'する」/
- 読書文化に必要なものは、解釈力の育成ではなく、ひたすら読む行為、声を出して読む行為の鍛錬である。そこをくぐり抜けてはじめて意味の解釈が拓かれる
- もってまわった言い回しでvision therapyを推薦
- "「ひたすら漢文を音読する」だけである。 意味なんかどうだっていいのである。 古人は経験的に、この作業を経由しなければ「言語の意味」を解するという次のレベルにはあがれないことを熟知していたのである。"




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