『日本辺境論』の販促活動が始まっている。 昨日、梅田の紀伊國屋書店を覗いたら、入り口のところに特設のトレーが作ってあって、『街場の教育論』や『下流志向』や『私家版・ユダヤ文化論』も並べてあった。 文楽劇場での幕間でも、POPをたくさん書かされた。 「読んでね」とか「面白いよ」とかいう、まったく知性の片鱗も感じられない惹句であるが、読んでもらわないと話にならないのであるから、とりあえずは読者のみなさまのご厚意に取りすがるのである。 今のところ寄せられた感想にはどれも好意的で、まずは一安心。 もちろん、これか... > このページを見る
最終更新時間:
2009年11月16日10時58分
みんなのブックマーク 人気(0) 新着
-
(連携テスト)永遠に続くブレインストーミング…
- 看守になりたかったのに論争めんどくさいからなれないのか! 諦めてロバ飼育係目指す!
- "論争を「愚者を教化する機会」だと思っている人間は、スターリン主義のソ連や金正日の北朝鮮に生まれていれば、強制収容所や政治犯の粛清に喜んで同意するタイプの人間である"
- " 強制収容所の「囚人になる人間」と「看守になる人間」は、そのような制度が存在しない社会においてもはっきりと識別できる。 論争を好むのは「看守」たちである。"
- そういう人間にはなりたくないな。
- もっともだなーと思った。
- 無駄な争い
- どこまでもやってゆくと、最終的に論争は「どちらが頭がいいか」というまことににべもないハードウェアのスペック比較になる。 どのような高尚なテーマで始まった論争も、かならず最後は生得的な資質の差を比べると
- 論争の仕方による。良心的に議論すればいい。出来ない人が多いから黙る、なるほど。
- このようにしてあらかじめ反論や論争を封殺し黙殺する最強看守・内田ジュなのであった。
- 『放っておくとたいていの人は「自分の意見とは違う、誤った結論」に到ると思っている。だから大声で、金切り声をあげて、他の人が話している声が聞こえないように、言論の場を占拠しようとする。』2chでよく見る
- ようは金持ちケンカせず
- 「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。 どこまでもやってゆくと、最終的に論争は「どちらが頭がいいか」というまことににべもないハードウェアの
- 「看守的人間」の言論は内田先生の中ではスルー、抑圧されます。うーん、内田先生の話はいつも自己言及的というかパラドクスを含んでて面白い。
- ”「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。どこまでもやってゆくと、最終的に論争は「どちらが頭がいいか」というまことににべもないハードウェアの
- 内田さんは分野外のことでも確信犯的にいい加減なことを書くけど、専門家が反論してもこういう「大人」な態度でいなされてしまう。要は自らの言論に対する責任放棄なわけで、それを承知で読む必要があるよね。
- 勝つのも負けるのも嫌い。褒められるのは好き。
- 自分の意見を話し、受け入れる寛容。
- 「論争を「愚者を教化する機会」だと思っている人間は、スターリン主義のソ連や金正日の北朝鮮に生まれていれば、強制収容所や政治犯の粛清に喜んで同意するタイプの人間である」
- "どこまでもやってゆくと、最終的に論争は「どちらが頭がいいか」というまことににべもないハードウェアのスペック比較になる。 どのような高尚なテーマで始まった論争も、かならず最後は生得的な資質の差を比べる"









