倉吉東高校に講演に行く。 この高校の芝野先生という方がたいへん熱心な「ウチダ読者」で、ご招請いただいたのである。 増田聡くんによると、「たいへん熱心なウチダ読者」のことを業界の一部では「タツラー」というそうである。 ええ、そうなの~ 「ウチダー」よりはいいでしょうと増田くんは言う。 まあそうだけど。 とにかく、その先生の音頭取りで全校をあげて「ウチダ本」を読む運動を展開されているらしい。 生徒たちはしかたなく近くの書店に行って「ウチダタツルの本ありますか?」と訊くことになる。 倉吉の書店の人も次々に高校生... > このページを見る
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2009年12月05日10時22分
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- Brideshead Revisitedからとったのかな、タイトルは
- 押し付けられた定型からは逃れられるが、自分で選びとった定型からは逃れ難い。
- 前に塩野七生が「「自由な教育」を受けた人より、「伝統的な教育」を受けた人のほうに可能性を感じることがなぜか多い」と書いていたのを思い出した。
- 「外から強制された定型性」は社会的な力がつけば振りはらうことができる。 だが定型的なふるまいを、「自分の意思で選んだもの」であると思い込んでいたら、そこからは出ることができない。
- 同調 俯瞰 文脈
- 個性というのは内発的なものではない。 「呼ばれる」ことである。
- 個性のつくり方
- "他人にかけられた呪いよりも、自分で自分にかけた呪いのほうが解除しにくい"
- "社会的な力がつけば振りはらうことができる。だが定型的なふるまいを、それを現になしている主体が外部からの強制ではなく、「自分の意思で選んだもの」であると思い込んでいたら、そこからは出ることができない"
- ご本人がノリノリな稿は楽しいな/
- 個性とは俯瞰的に自己をとらえ、他者とのつながりから、そして、自己を文脈のなかから判断すること。内発的なものではない。
- 「自発的な選択による定型化を個性と勘違い」してる人を気持ち悪いと思ってきたけど、それから「逃れなられない」からなのね。
- 主体についての内容が特に面白かった。
- 「幼児教育が「おゆうぎと歌」を中心に編成されているのは故なき事ではない」「同一動作の反復はあらゆる場面で繰り返される。これを「心身の権力的統制」とか「馴致」とか口走る人は「主体」の存立を不当前提して」









