光文社から出る『メディアと知』という仮タイトルの本を書いている。 もともとは3年ほど前にやった授業の録音をテープ起こしして、それにちょいちょいと手を入れて・・・というお手軽本のつもりだったのだが、書き始めると、「あれも書きたい、これも書きたい」ということで、どんどん話がくどくなる。 まだ第二講なのに、もう3万字。 全体で第七講くらいまでで収めたいのだが、収まるかしら。 メディアに論点を特化している。 マスメディア(テレビと新聞)の凋落、インターネットとメディア、ミドル・メディア、書籍文化、コピーライト、メ... > このページを見る
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2010年04月02日13時47分
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「新聞記事の書き手たちは構造的にある「思考定型」をなぞる…グッドガイを支援しバッドガイを叩く、ということを報道の使命だと考えている」。特に政局ネタ。でも、もうそういうのは読みたくないんだよね。
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TVの震災報道を見て改めて思う/”「なぜ私は『こんな話』ばかりしているのか?」という自省をすることができない。(中略)その自省機会の欠如が、メディアのもつべき批評性の本質的部分をゆっくりと腐らてゆく”
- レガシーメディアは黙り込むことが許されない。思考停止とこれは無関係ではない。
- レガシーメディアは黙り込むことが許されない。思考停止とこれは無関係ではない。
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昔は「ネットの発言は匿名で無責任だ」なんてよく言われましたが、逆に新聞・週刊誌のほうが無責任で、それが凋落の原因だという指摘。
- 商売柄、メディアは「絶句すること」が許されない。 逆に言えば、インターネットメディアの利点は「用がなければ黙っている」ことができるということである。 「黙ることが許される」というのは思考する人間において
- あいかわらぶ文章がうまい
- 新聞凋落の理由は”世の中の出来事は「属人的な要素」で決まるという思考定型””自省とメタ思考の構造的不可能””執筆者の実質的不在”
- 『「最終的にその責任を引き受ける個人を持たない」ような言葉はそもそも発される必要があるのか』
- 「最終的にその責任を引き受ける個人を持たない」ような言葉はそもそも発される必要があるのか。
- ふむふむふむふむ。マスコミは構造的に「~(ということにしたい)」の塊だということか。
- それは既存メディアが築いてきた「智恵」だ。シンプルに定型化して万事を切り取る。個人が責任を取らなくていいから遠慮無く何でも書ける。多面性を考察するのはあんたらの仕事だ。構造に切り込むし沈黙は破滅だ。
- 記名記事ならまだ内容や解釈について語れる可能性もあるけど、よく分からない「空気」とか「社の方針」とか相手じゃ話にもならないしなぁ。
- ちげーよ。ネットのせいだよ。マスコミの知性が劣悪なのは昔からだ。ネットの知性が上回ったんだろ。安くて早いし。
- すげー面白い
- 新聞て昔からつまらなかったけどなあ。他に読むモノ無いから読んでいたというのはあるんじゃないの?
- やっぱりガンダムの成功が,勧善懲悪で世の中を語れない事を一般市民まで浸透させたことが原因ってことかな。
- 知り合いの新聞記者さんが、「内定するのに新聞を読む必要はないが、新聞書くのには新聞を読む必要がある」と言ってたのを思い出した。新聞文章の定型を知らないと、記者としてダメらしいです。
- 「「最終的にその責任を引き受ける個人を持たない」ような言葉はそもそも発される必要があるのか。私は率直に言って「ない」と思う。」
- 言説の定形化は、思考の社会階層を固定化している気がするな。









