sho_taさんが「誤解こそ理解」と「誰が書いたのか問題」についての一考察でとても面白いことを書かれているのですが、今一歩のところで通念に引っ張られて、ミスリーディングになってしまっている感があります。「まだどこかに自律的な主体がある」かのような印象を与えてしまっているのです。 ようは相手に興味を持たせるには、まず自分をミステリアスな存在だと思わせろということであり、ラカンという思想家はこれが悪魔のようにうまかったわけです。 そのラカンが「エジプト人の謎はエジプト人にとっての謎」といった言い回しをしていた... > このページを見る
最終更新時間:
2007年11月20日11時00分
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- 返答を書きたいのだけど、言葉を選ぶのが難しい。とりあえず何度も読んでいます。
- 自律的に誤解することはできない。我々が「誤解」に向けて出来ることは、常に襲われやすくしていること、呼び声(ブーブー)に振り向くしなやかを保つこと、誤解を前もって決意すること。
- トラップにかけられたのはこのエントリの読者
- 関係ないだろうけど私は千尋が豚を両親と気づく場面になぜかいつも笑ってしまうのだ。それはそこに自覚の無い皮肉を感じ取ってしまうからかもなと思った。/←逆でした。豚に両親はいないと見抜くそう。スミマセン




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