というわけで、母校の学園祭もとい芸術祭に行ってきた。ひさしぶりに先輩が田舎から出てくるからだ。行ってから知ったのだけれども、昨日、ここにPerfumeが来ていたらしい。ということはオタクと美大生のレーゾンデートルをかけたコンフリクトがあったに違いないのだが、小平は鷹の台駅から歩いてはるばる徒歩20分のど田舎、ふと振り返れば厳戒態勢の朝鮮学校がすぐそばにあるシュールなこの場所にやってきたオタたちの心情はいかばかりか。小平の雄大な田畑を背負ってオタ芸は炸裂したのだろうか、とか思ったのだけれども、聞けば今年の漫... > このページを見る
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2006年10月30日00時49分
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- "恋愛って、それおっぱじめると構築してきたすべてが崩壊し、展開していたすべてが凍りつき、ただ恋愛が圧倒的に物語を支配して"/くそ、それは"コミュニケーションの緩衝材"としてだろ、と蔑んでしまうあるある
- "恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから"わっはっは
- あの漫画は大好きだけど、こういう文章があると泣けてくる。/映画サークルとアニメサークル両方で「エヴァの文字の使い方は市川昆すよね」といったら「うちそういうのやってない」といわれた女が孤独に通ります。
- 「昨日、ここにPerfumeが来ていたらしい」「「恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから」」「悪意があるのは、われわれのほうだ」
- 確かにこれは自虐に見せかけたオヤジの自己肯定で美しくないのだけれど、オイラも同種の感想を持ってしまうことがある。んあー。
- オタクにありがちな"自虐に見せかけた自己讃美"。結局"僕らは濃かった/凄かった"かよ、とも思う。
- *otaku
- おたくの世代間について
- 篠房六郎氏。ナツノクモ7、買いましたが読む気起きず。なんでだろうか。好きなのに好きじゃない作品なのかなぁ…
- オタクであることは問題の根本ではないのだよね。鶏と卵みたいな話だけど
- 『革命が成し遂げられた暁に、我々は安住の地からもイタくてウザくて「違う」ひとだとみなされる様になったのだ。』orz
- 人とつるむために作品を消費している彼らは、学校の休み時間に話題にされるテレビと大差ない作品への付き合い方をしている。
- 恋愛話の物語に対する暴力性。美大のオタク、旧世代と新世代。オタクを駆動させていたルサンチマン。オタネタ的オチもある秀逸な文章w
- 『「恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから」』普遍的だし、受けるし:上澄み搾取層の話は音楽を通過して文・理、さらに一般・オタにまで及ぶ
- /げんしけん9巻付属の同人誌に篠房六郎がこのネタを描いてた
- オタク第二世代vs第三世代。屈託なくオタクになれるのはきっといいことなんだけれど、「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と指を指された世代としては妬ましい
- これはもう、中高大学時代(大学もかよ)の自分のレゾンデートルにかかわる大問題ではあったわけだけれど、今にして思えば『古代エジプト以来のアレ』なのかな、と。何もかもが懐かしい
- 高校のとき、同じ趣味を周りと誰も分かち合えなかったような孤独を背負った子の気配が。篠房氏曰く、「そんな子は、いまは、いない」と。皆メインストリームしか見ておらず… ――そこで はてな部へ ?
- サークル今昔物語
- 「恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから」「深く埋没しないし遡らない」=「コミュニケーションの緩衝材」








