倫理, ひとこと | 人権教育の問題点 - Whoso is not expressly includedhttp://han.org/blog/2010/02/post-123.html この記事のブックマークコメントがひどいので手短かに。 差別は全てが悪い心の問題でなく構造的に「悪気なく」起こる。その通りでしょう。だとしても、差別事象が悪いものであるということ自体は揺るぎない前提であるはずなので、生ワクチンやらで「差別事象を最小にするアーキテクチャ」かなんかを構想しようがどうしようが「心の問題」として... > このページを見る
最終更新時間:
2010年02月21日08時22分
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- 肯定するにしても批判するにしても押さえとくべきエントリー。
- 差別について。読み返したい。/引用部分はちょっとなぁ。
- たとえば名づけ(民族やセク等)から自由なのも特権だが、自ら名乗る(ヤマト民族・ヘテロ)など特権解体の努力はできるのにしないのは個々人の怠慢で、それ含めて構造的問題が維持されてるんじゃないか?
- 「このような構造的差別を問題にするときに、その「専ら悪い人が差別するわけではない」という文句は全く逆の効果も持つからです。つまり、「これは構造の問題であって、私に関わる倫理の問題ではない」というような
- わりと同感。ただ、傲慢な書き方になってしまうけど、「内省への契機は全ての人に与えられているとは限らない。たまたま自分は恵まれていただけかもしれない」、僕は、そういう視点を忘れないで考えていきたい。
- "なぜ差別はなくならないのか"は"なぜアフリカは発展しないのか"と同じで、はじめから「ボク(ら)は悪くない」という結論に導きたいための問題設定であったり、少なくともそれに陥りがちな問い方だったりすると思う。
- 実のところ人格的自律を保てない人にとって人権ってなんなの?っていうあたりで人権論ってそもそも矛盾があるってのはある。ただそういう視点からの批判を行う人は人権論には立たないってことなんじゃないか?w
- 元の一連の記事は、学問としての方法論と、学生の心理的反発への配慮が混ざっているような/「構造」を見ようとするなら、全体社会と身辺現象を往復して自己の位置を見定める思考は不可欠だよね
- "個人としての「差別心」に対する内省"については、好井裕明(よしい・ひろあき)さんの議論が参考になりますね。 / 関連:http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081224/1230124328
- 差別を自分の外部から来るものと思っているかぎりは、差別と闘うことはできないだろう。「差別する人=悪人」ではないにしても 「差別=悪」であり それに自分も加担していることをまず認識する必要がある。
- 差別に限らず「構造的問題は、一旦個々人(の責任)と切り離して考えなければならない」という当たり前の近代的思考手続が日本では左右共に未熟/根にあるのは責任主義の無理解。刑法学での議論を是非参考にしてほしい








