ヒト村上春樹さんの「正論原理主義は怖い」という発言が話題だ*1。 村上春樹さんといえば、先日のエルサレム賞受賞式での「壁と卵」というスピーチ、自分は小説家だから壁と卵があればたとえ卵が間違っていようとも卵の側に立つという遠まわしな戦争批判ともとれる内容が大変な話題を呼び、一躍ときの人となった。そして今回の発言も、このスピーチに絡んでのもののようだ。この「壁と卵」というメタファーについて、以前に内田樹さんが次のように解説されていた。即ち、壁とは言葉のこと、卵とは言葉にならないもののことであり、小説を書くとい... > このページを見る
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2009年03月14日11時59分
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うちのこどもと、「正論原理主義」 - よそ行きの妄想
- 「大事なことは褒めることではなく、見せることだろう。自分が何を褒めて何を褒めないか。何に正しさを感じているのか。」
- 、壁とは言葉のこと、卵とは言葉にならないもののことであり、小説を書くということは言葉にならないものにスポットライトを当てて、それを行間で表現するということ
- うちの3歳児はいい子だなぁとか、思ったw。
- アホか。言葉にならないもの≠正しい。何かを排除した上に確かに言葉は成り立つ。排除されたものが正しかったと証明する事など誰にもできない。原初にあるのは正義でなく嘘、見かけ。難破船のバカと同じ倫理的な誤り
- 羊にやられちゃった鼠を思うと、氏が本当にその手の有り体な弱さに関心を抱いているのか疑問に思ってしまう。おいらも巧く言語化できる自信はないんだけどね、「健康な弱さ」と「不健康な弱さ」、っていうか。
- とりあえず。小説家は多分「正論原理主義」と同等かそれ以上に、「言語化され得ない概念としての正しさ」が「倫理」だ、とかいう粗暴さに抵抗して小説を書いてる。 じゃなきゃ何十行も何百行も費やしたりしないよ。
- "「正論原理主義」などという安易なレッテル" /正論原理主義「者」という表現ではない以上、主義自体がシステムであり壁であり、それにすがる側も壊される側も双方卵なのじゃないかという気も。
- 正論かどうかを決めるのは同意する人間の数/だから正論に縋りつかなきゃあの人はただのトンデモ作家だし、飯が食えない。経験に裏付けられてない”正しさ”はどこか奇形なもの。この箇所について同意。
- "人間が正しさを求めるその姿というのは、まさに人間の本質ではないかということだ"
- トラックバックも付けたが、良い記事だと思う。
- 「「正論原理主義」などという安易なレッテル張りではなくて~」 そうだね、嬉々として「レッテル貼り」に使う者も出てくるだろうね。生分かりの「正論」を盾にした「弱者」叩きが好きな連中もいるしね
- 擬似正論に押さえ込まれるのが嫌だという主張は同意できるが、正論と擬似正論が区別できず、論はすべて悪だ!的な主張になってるのが残念。
- 卵には正論しかすがるものがないということ/こどもが一時期正義漢になるのは、「正しい/正しくない」という基準で世界を作っていこうとしているのだなぁと思う(自分の快、不快とよくごっちゃになるけど)
- とりあえずお子さんが振りかざしてるのは子供らしい屁理屈であって正論じゃないだろう(笑)
- もちょっと補足すると、我々は恐らく「言葉」によってしか邪心を封印できないし、それが「正しさ」のあり方ではある、と。ただ、それが言語より下のレイヤの人間性を毀損しないか、みたいな懸念なのかなと。
- すごくいい文章だとおもった。/かんけいないけど前の彼氏には別れてから「おまえは私が正しいしか言わない」と責められたのを思い出した。
- なんか、めずらしく言いたかったことをちゃんとまとめられたような感じがするが。/気のせいだったか。/Id:Yagokoro いや、客観的な正論なんてそもそも存在しないから(笑)






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