必要があって『佐藤栄作日記』を読んでいたら、秦野章が久しぶりに来た、というのがあった。秦野は1971年の都知事選で自民党から立って美濃部に惨敗したのだが、自民党に対しては不満たらたらだったらしい。その前、美濃部の初当選の時は、石原慎太郎が立つ話もあったのだが、もし石原が勝って四年やって党へ帰ってくると党内の年齢秩序が乱れると言って反対する人があったようだ。確かに1967年、石原は35だから、無理もない。しかし石原は不満たらたらで、『諸君!』で高坂正堯と対談して、自民党をぼろくそに言った。すると三島由紀夫が... > このページを見る
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2012年02月22日01時23分
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- 漸く世間というものが判ってきたらしい
- 佐藤栄作日記「秦野が来た時佐藤は、都知事選後、しばらく姿を見せなかったが、漸く世間というものが判ってきたらしい、と書いている。これには、ぞっとした」
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"秦野は1971年の都知事選で自民党から立って美濃部に惨敗したのだが", "秦野が来た時佐藤は、都知事選後、しばらく姿を見せなかったが、漸く世間というものが判ってきたらしい、と書いている。これには、ぞっとした"
- 佐藤栄作日記。秦野章が佐藤を訪ねる。「秦野が来た時佐藤は、都知事選後、しばらく姿を見せなかったが、漸く世間というものが判ってきたらしい、と書いている」/美濃部初出馬の選挙のときに石原が立つ話もあったと








