メルマガ 著書『電子書籍の衝撃』などで有名な佐々木俊尚さんが、何やらバトっていたらしい、という話を聴く。ぼくは直接にやり取りを見ていたわけではないので、その事についてどうこうつもりはない。ここ(http://d.hatena.ne.jp/tsunmatsu/20120207)によると、 キュレーターとしても有名な佐々木俊尚さんが、Twitterで広告業界っぽい人たちから誹謗中傷を受けて(てかただの嫌がらせの悪口)、怒った佐々木さんがその人たちの勤めている会社名とか探し出して暴露するという反撃に出て、誹謗... > このページを見る
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2012年02月10日15時02分
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- 熟議の限界に立ち現れる敵対性や権力の非対称性についてナイーブにすぎる意見であり、何も云っていないに等しい。
- 自分に性的虐待を加えた祖父(実際には死んでるので、そっくりさんを使った)に対して罵倒することで救われた女性の話を思い出した。/なので存在しないと言い切る自信がない。
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罵倒を正当なで修飾することに違和感がある。で罵倒するに足る理由がいかなる場合もないか、というとそうではないかな。罵倒したことは結果として本人に跳ね返るとしても。
- 「要求が正鵠を射ているのだから表現が対象を尊重していなくとも受け入れろ」という向きにはどうしても抵抗を感じる
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(じつに賛成(わしが体育会系・軍隊・フルメタルなんとか・富野等が嫌いな理由もこれに関連する
2 RT
- いらっと来たらなんか言いたくなるってのは人間の自然な感情なんで、あとは「有名なものって一種の機関でそこに人格とかない」っていう話じゃないかと思ってる。
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√83, 「心の欲する所に従えども矩を踰えず」がわたしは理想だと思うけどね > "感情の促すままに言葉を発することを抑えることができるかどうかが、ひとの品性の差として表れる。"
- んー、罵倒を含めた暴力を手放すつもりは無いっす。正当だなんて思ってやしませんけどね。
- 罵倒が生まれる感情のほうに共感してしまうタチではある。
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佐々木さん関係ない。
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「うんこの投げ合い」コミュニケーションを楽しんでいる人達が否定された気がする
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相手が間違っているとき罵倒を一切ぬきに論理的にどこをどう間違えているかを指摘することは可、という話ではなく。でも「悪を許す」ではない。「とにかく卑罵は駄目です」。一体どうすれば。
- 熟議の限界に立ち現れる敵対性や権力の非対称性についてナイーブにすぎる意見であり、何も云っていないに等しい。
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√83, 「心の欲する所に従えども矩を踰えず」がわたしは理想だと思うけどね > "感情の促すままに言葉を発することを抑えることができるかどうかが、ひとの品性の差として表れる。"
- 批判と罵倒の大きな違い
- 有名人については、お茶の間でテレビ観てる感覚で、そういうことしちゃうのかなあと想像している。
- それにしても、ひとはなぜ他者を罵倒するのだろうか。「中傷されるのを恐れている人が他人を中傷する。効果があると思い込んでいるからだ。」(森博嗣『数奇にして模型』)という話もあるが、それだけでもないだろう
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感情の促すままの人もさることながら、意図的に罵倒表現を使っている人もいるようで、やっぱり品性が疑われる
- 「思うに、どうもネットには有名人に対しては何を言ってもいいのだという文化があるようだ」当たり前。連中は一人一人の素朴な質問に一切答えない。無返答は物理的には仕方がないが、人間としての反発を覚悟しろ。
- 「お前の発言は罵倒だ」と言うことも罵倒 / 「本当なのかどうかもわからない」と書きつつ、佐々木俊尚の相手をしていた人たちの言説が罵倒にすぎないと示唆している、ひどい文章だなあと思いました
- 自分に性的虐待を加えた祖父(実際には死んでるので、そっくりさんを使った)に対して罵倒することで救われた女性の話を思い出した。/なので存在しないと言い切る自信がない。
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同意。人を貶めたって自分が偉くなるわけじゃないのにね。むしろそれは自分に跳ね返ってくるだけという。
3 RT
- その通りだとはおもうけど、でも狷介なひとってどうしても嫌いになれないんだよね。どうしたらいいかはわからん。
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正義につながった瞬間、それは肯定されてしまうから、思考停止しちゃうんだよな。易きに流れる。
- はい。反省。
- ブコメ見て、「国家が罵倒を独占する」とか思い浮かんで自動的に国家元首が美少女になった
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一度読んで考えるべき。








