Opinion | 私が中高生だった頃、まさに詰め込み教育、受験地獄批判花盛りで、知識偏重の教育の弊害が盛んに叫ばれた。官僚の不祥事やら、日本の国際競争力低下まで、何でもこれらの問題だとされ、教育改革が急務だとされていた。 ところが、それがいつのまにか臨時教育審議会によりゆとり教育という方向にまとまり、89年〜99年の間に「ゆとり教育」という理念の下での教育行政が推進された。 ところが、この答申の基づく教科書編集の結果、円周率を「3」と教えるといったデュテールな部分がセンセーショナルに報道され、「ゆとり... > このページを見る
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2010年03月01日20時34分
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- まあなんにせよ、たとえば習熟度別クラスを編成するなら生徒に対するきめの細かいケアとカリキュラムの細分化に耐えるだけの人員・資源が必要。財源は法人税に教育目的税を付加して、多額納税企業を公表すればいい。
- 「知識偏重の教育の弊害が盛んに叫ばれた。官僚の不祥事やら、日本の国際競争力低下まで、何でもこれらの問題だとされ、教育改革が急務だとされていた」 / 応用問題ができない小学生、ってのもあったね
- 初等中等教育は、デモクラティック・スクールに尽きると思ってるんだが。
- そうなんだよねえ。あのころのことはみんな忘れたふり?
- 和田秀樹氏など、10年前の学力低下論者は「底の厚い中庸な学力を持った国民」の育成を肯定評価し、エリート教育派とは位相を異にしていた。/はてな村で時々話題になる「エリート教育的日本脱出論」への違和感。
- 私事ながら、3年前の秋にネオリベ批判の文脈で刺激的な「ゆとり教育」批判の記事を書いて、ある共産党支持者からこっぴどく叩かれたことを思い出した。その時は城内実支持者(喜八氏ではない)からも叩かれたけどね
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おおむね賛成。それと、子供の学力にバラツキが有る以上は、複数の処方せんを用意すべきだとも思います。その意味で「ゆとり」と「詰め込み」の二項対立はナンセンス。
- >実は学力低下による中庸な学力を保持する層の崩壊は社会ニーズにマッチしていたのであるが、ネオリベラリズムを支持しているはずの学者の中でも、なぜかこれを評価しないで学力低下を問題視する珍現象が起きた
- 「学力層別に教育を差別化せよ」 < 賛成。 これ、< 振り分ける > んじゃなくて、< 選べる > ようにできるといいよね。 でも、いろんな人と出会うことも大切だから、校庭はいっしょで教室が別とかがいいなぁ。
- 「底の厚い中庸な学力を持った国民」の排出の必要がなくなった社会において、教育の差別化をすることが本当によいことなのか。考えてみる。
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『旧制中学や旧制高校のエリート教育に幻影を抱く保守派エリートや、海外のエリート教育に幻影を抱く国際派エリートと、教育現場で「落ちこぼれ」や「いじめ」「不登校」などの問題と対峙する現場の意見の二極に分離
- 今は揺り戻しの時期。詰め込み教育とゆとり教育の間のどこかに最適解があると仮定し、それを探る。もしなければ別の場所を探す。その繰り返しで教育がよりよいものになって行くと思う。
- マスコミとかって無意味に反応するし、大衆はそういう矛先求めてるんじゃないのかと、思ってしまうよ
- 教員のカリキュラム構成力や労働負担をどう組織的に補填ないし担保するかが問題かなあ。
- 『学力層別に教育を差別化』だね。目安与えられた上で生徒が教室を自主的に選べること、ひとつ上のクラスに登る力がつけられる内容にすること、修了したらさらに次の内容にすすめること…などなど。
- なるほど。まぁゆとりと詰め込みの繰り返しは、あと2周くらいするとは思いますけどね・・・。
- 『「底の厚い中庸な学力を持った国民」』Qさまの7番ぐらいまでは軽くこなすぐらいかなぁ…。個別の知識の大半は教室の外で身につくから教科書はできるだけ詳しい方がいいと思う。
- そういう習熟度別指導政策って"ネオリベ的だ!"と左右から批判されるのが常だったような気がするが。たしかに議論が一巡しているっぽい
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「マニュアル通りに安く働く労働力を求める社会からの脱却」これが一番の難問だと思う。この問題が半ば意図的に無視されているから、教育をめぐる議論は混迷する
- 「学力層別に教育を差別化せよ」賛成。トップの学生を想定した「考える力」の教育って、中・下の生徒達を犠牲にしたエリートのお遊びだと思う。「考える力」の前に掛け算・割り算の教育が必要な大学生さえいるのに。








