倫理的な主張には利己的な動機が隠れている(ことが少なくない)。 大学で出席しないのは「ずるい」? - m-birdとFreeBSDの同棲日記 ごく簡単にいうと、これは大学が「結果だけでなく学習態度も加味して評価されるべき場」なのか、それとも「結果だけが評価されるべき場」なのか、という問題。 大学の成績が全てなのか? 評価基準が自分の中にないのか? といった批判は妥当ではない。おそらく本人は「学習態度に優れる自分」を高く評価している。その自負がむしろ、社会的評価は「結果だけでなく学習態度を加味して評価される... > このページを見る
最終更新時間:
2009年09月09日11時23分
みんなのブックマーク 人気(0) 新着
- "さして賢くない一般人は、「頭の良さ」だけで成績を決められては勝ち目がない。自分でも勝負できる「学習態度」を評価基準に入れるべき、と主張することに不思議はない"
- 強要から教養は生まれない。
- 昔の大学ではエリートがエリートを教えていたので、エリートの価値観を疑う者がいなかった。現在の大学ではエリートが庶民を教えているので、価値観の衝突がある。
- ありそうな話、とは思う。でも、単に価値観に沿って行動しているだけにも。出席自体に価値を感じない人間は自分にも他人にも出席を強制しないだろうけど、それを倫理と主張するかどうかは別問題では?
- 利己vs.利他というのは、たぶん非常にしばしば偽の対立なんだろうなぁ。
- "無論、それは戦略的発言ではなく、「無意識にそのような価値観に共感してしまう」のだ。こうしたアイデンティティと結合した価値観"
- 話しかけてくる人は、みんな自分自身のこと正しいと思ってるんだ、って一歩ひいて相手に接すると、色々世の中が楽になるよ。「ウチの嫁はいつでも正しい理論」。
- このエントリがではなく。"さして賢くない一般人は、「頭の良さ」だけで成績を決められては勝ち目がない。自分でも勝負できる「学習態度」を評価基準に入れるべき、と主張することに不思議はない" 良縁鳥。
- 結局みんな、自分を肯定するための材料探しをしているわけだ。
- 結局みんな、自分を肯定するための材料探しをしているわけだ。
- 逆に利己的な動機でない倫理的な主張などないことを主張したい
- ここ数日話題になってるルールの件は全員カントを読めてないだけ。特にバカ左翼はこれを差別の問題にすり替えてるが今後間違いなく己の上に罪悪感となって跳ね返ってくるだろう。彼らは破滅に向かってると書いた通り
- WEBとか通信制との整合性の問題も。出席なんかとらなくても人が集められるほどの教員の養成が望まれる。
- 教養の頃は点数重視だったが(優三割規定とかあるくらいだから)、学部行ってからはぶっちゃけ点数低めの学科だからか単位は出席が保証する感じ。卒論とかはさすがに内容酷いとフルボッコらしいけど。。
- 利己的な動機が隠れていない、純粋に利己的ではない行動選択、というものをどうやって見抜くのか。なんら利己的なメリットも無いことに、ATPやブドウ糖を消費するよう人間が出来ているとは考えにくい。
- 私の尊敬する教師は、内容に合わせて出欠を取る授業と取らない授業を区別していた。利己的もなにも、出席だけじゃ授業態度わかんない。寝てるだけかも知れない。
- 倫理的でない主張にも隠れているかも。









