わたしたちは、わたしたちに死を書き込むために言葉を選択したのである。この「言葉」という部分をシステムといいかえてみれば、これはちょうど、村上春樹のエルサレム賞受賞講演の中の「システム」を「記号」に置きかえてみよといった内田樹と同じことを、ただ逆向きに行っているだけである。内田樹の村上春樹への過大な評価は、読みかえの技術の妙にあったが、それを称えることは村上春樹の講演を称えることにはきっとならない。 そこで、僕たちひとりひとりはかけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」であり、その卵の側に立つという使命感と... > このページを見る
最終更新時間:
2009年02月24日09時06分
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- 村上春樹の卵/システムの譬喩の死角について。個人/システムという二分法は既に乗り越えられたのではなかったか。
- 「道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている。つまり簡単に壊れてしまう卵とは、卵の特質ではなくシステムのエピソードなのである。」








