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ナレーションおよび物語分析の再考 - 感情レヴュー
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ナレーションおよび物語分析の再考 - 感情レヴュー
ここのところずっと、ライトノベル/ジャンル小説の作家――とくに冲方丁と西尾維新――を読んでいた。それ... ここのところずっと、ライトノベル/ジャンル小説の作家――とくに冲方丁と西尾維新――を読んでいた。それとは別に、文学におけるナレーションの効用についても考えていたのだけれど、彼らの作品からいくつか得るところがあった。 昔からの変わりばえのしないナレーションを用いた作品には飽きを感じていたし(内容は新奇なものでも、その皮袋であるナレーションが古めかしいものの多いこと!)、従来のナレーション分析にも疑問というか限界を感じているところだった。 ではどうあるべきなのか。結論からいえば、ナレーションは、従来のように、(物語に対して)メタレベルに設定するのではなく、物語(キャラクターとプロット)とシームレスに繋がっている――言い換えればナレーション・キャラクター・プロットが各操作軸として重層化されている――ととらえるべきである。どういうことか。 たとえば、冲方丁は、ナレーションとキャラクター(およびプロ