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第3回「トランスなクィア、ストレートなクィア?」(2) - delta-G
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第3回「トランスなクィア、ストレートなクィア?」(2) - delta-G
●ジェンダーには本質も根拠もない バトラーのいうジェンダーとは、自然で本質的な根拠があるわけではな... ●ジェンダーには本質も根拠もない バトラーのいうジェンダーとは、自然で本質的な根拠があるわけではないにもかかわらず、パフォーマティヴな作用を通じて規範として実体化するものである。つまり、現実的にがっちり機能を果たし、強制力を持ってひとびとの生活を支配し、自分が男であるか女であるか、アイデンティフィケーションの選択を規定する力を持つ、ということである。 したがって、ジェンダーに根拠があるというのは幻想である。ジェンダーにはなんの根拠もない。ただし同時に、ジェンダーに根拠はないけれども、だからといって個々人の抱く「ジェンダー化されているという感覚」やジェンダー自認がリアルではないというわけでもないし、個々人が勝手にジェンダー規範を変えることができるわけでもない。幻想であるのだけれども、にもかかわらず、「今日から僕は男をやめます」と言ってそのままで済むという問題でもない。幻想にもかかわらず、強制