サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
装丁を味わう
handa.ifdef.jp
「Share」するということ タンブラーの設計の根底にある考え方のひとつに「Share」があると思います。 それは純正のポスト用ブックマークレットの名前が「Share on Tumblr」であることから分かります。もう少し言葉を加えれば「Share your love & hate on Tumblr」ということになるでしょう。 この「Share」という言葉は「分かち合う」とか「共有する」などと和訳されることがありますが、実際のところ欧米では、和訳されたその言葉の響き方よりも、もっとカジュアルで気軽な印象が強いような気がします。 アメリカでは、親元を離れて大学生活を送る学生たちが、学生同士で部屋を「Share」することが多いです。複数のベッドルームを持つ部屋を複数人で借りて、そのベッドルームをそれぞれの個室として使い、バス・トイレ・キッチンは共有して家賃を折半するわけです。 もともと気の合
Mac と Win の Firefox を完全に同期させる 気がついたら、1月は一つも記事を書いてなくてビックリしてます。 死んでたわけじゃなくて、ちゃんと生きてまして、それなりに忙しくしてます、仕事以外で。 そんなそれなりに忙しい日々の中で、ついに我が家に MacBook がやってきました。まえの iBook が壊れてから何ヶ月間か家にパソコンのない期間が続いたのですが、その間、僕はそれほど困らなくて、かえって家でパソコンに触る時間がなくなって、いろいろと充実した時間を過ごせてるかも、なんて思ってたところに悲鳴をあげたのが家内でした。 クックパッドなんかで料理のレシピを調べたり、その他いろんな調べ物ができなくて困る、と。 ということで、アップルの整備済製品に掘り出し物がないかチェックする日々がしばらくあったのですが、なかなかタイミングが合わなくていい製品にめぐり合えず、たまたま覗いたアマ
頭がいいとか悪いとか 最近ちまたで話題になっているようなので、ちょっと思うことを書いてみます。 僕は昔からこの言葉があんまり好きじゃありません。 これは結局、言い訳のために生まれた言葉だと思うのです。 なにかやってもできなかった人が、それを自分が生まれつき「頭が悪い」せいにしたり、自分がやってもできなかったことを人が軽々とやってのけるのを見て、そのひとの「頭がいい」からだと考える。この言葉は、なぜだかこういうときにしか使われないような気がします。 ずっとまえに「勉強のこと」で書いたように、勉強や、あるいはテストでいい点を取るという分野は、芸術やスポーツなどの分野とくらべると、持って生まれた才能に左右される範囲がずっと狭いのです。 そこで自分は「頭が悪い」からとか、あのひとは「頭がいい」からなどといって自分を卑下し、自分自身をあきらめてしまうのは、とてももったいないと思うのです。とにかくがん
偶然と、自然と、 コピーとは何かとかコピーライトとは何かとか、オリジナリティーとかクリエイティビティーとか、真のオリジナルってなんだ?とかについて考えてみる。 いろんな意見はあるだろうけど、僕としては基本的にほぼすべてのクリエイテビティーは、なにかしらのコピーのうえに成立っていると思う。 たとえば、ある高校生が仲間とバンドを始めるとき、いきなりオリジナル曲があるはずもないので、まずはバンドメンバーが好きな曲をコピーすることになるだろう。著作権うんぬんの話を抜きにすれば、高校生バンドにコピーされたミュージシャンは悪い気はしないどころか光栄な気分だろう。だって自分たちだってコピーバンドから始めたはずだから。 コピーしていく中でスキルをあげていって、いずれはオリジナル曲を作ることになるだろう。でもそのオリジナル曲だって、作者である彼の大好きなあのバンドのあの曲や、あっちのバンドのあの曲に似ていた
写真を複数枚並べることで生まれるなにかに可能性を感じずにはいられない。 そんなのとっくの昔にみんな気づいてて、とっくの昔からみんなやってることなのかもしれないけれど、僕は最近「あれ、なんだこの感じ。」って感じで気づいて、どんどんその魅力にハマっていっていて、もしまだそれに気づいていない人がいたら不幸なので紹介します。たとえばコレ。 Diptychs - a set on Flickr 2枚並べる場合には「Diptychs」という呼び方があるのかもしれません。呼び方はどうでもいいんですけどね。 同じシーンの「引き」の絵と「寄り」の絵の組み合わせだったり、同じ位置から別々な場所を切り取った組み合わせだったり、まったく無関係な絵の組み合わせだったり。縦に並べたり横に並べたり、半々に並べたり分量を変えてみたり、余白をつくってみたり。 そして注意深く並べられて出来上がったものを見ると共通して起こるの
フィードリーダー的便利ツールが普及するために もう10年くらいまえのこと。 まだ Mac OSX がリリースされる前で、でもそのプレビュースクリーンショットなどの漏れ伝わってくるいろんな情報に魅了されて、自分の Mac OS9 のルック&フィールを OSX 化するために、デスクトップピクチャやアイコンやいろんなフリーウェアを貪るように集めていたことがあります。 マック雑誌に載っているアドレスを打ち込んで、そんな情報を配布しているサイトにたどり着き、またそんなサイトつながりでいろんなサイトを発見してよろこんでました。 そのころはブラウザに登録したブックマークを定期的に巡回するしかありませんでした。でもたいした量じゃなかったし、回線も今ほど速くなかったのでそれほど困りはしませんでした。 思えばあれがすべての始まり。 その後はてなアンテナの存在を知り、その便利さに驚愕しました。 ローカルのブック
フラット化する世界 「フラット化」といっても、あの「フラット化」ではありません。あくまでも「見た目」のお話です。 このまえ「Firefox 3 対応のテーマ Full Flat」という記事を書いたところ、そのテーマの作者さんからメールを頂きました。 この「Full Flat」というテーマは、もともと作者さんが使っていったウィンドウマネージャーのテーマに似せてつくったものだそうで、なるほど作者さんのサイトのスクリーンショットではウィンドウ右上の3つのボタンまわりりなども完全にフルフラット化されています。 実は僕もそれを真似てウィンドウズのコントロールパネルの「画面」機能でできる範囲でそれに近づけていたのですが(それがこれ)、それを見た作者さんがフルフラット化する方法を教えてくださいました。 よろこび勇んでやってみると、思いのほか簡単にフルフラット化することができました。これがなかなかの優れも
新聞をどげんかせ(ry どこかの親切な方が Yahoo! Pipes を使っていろんな新聞社の全文フィードをつくってくれたのを見つけて、どんなもんかと試しにフィードリーダに登録してみたんですが、予想以上のスゴさに驚いています。 Pipes: asahi.com 全文配信 Pipes: YOMIURI ONLINE ニュース 全文配信 Pipes: NIKKEI NET ニュース 全文配信 Pipes: MSN産経ニュース:注目 全文配信 驚くべきは、単純にその量と質です。 情報の信頼性が高く、バラエティ豊かで、速報性も高く、文章も写真もクオリティが高いです。エンターテインメント性だってちゃんとあります。 しかしそんなの当然といえば当然で、長くメディアのトップに君臨し続けていて、優秀な人材がたっぷり所属しているのですから。 しかしそんな当然のことなのに、まったく同じ情報が載っていてもあの「新
著作権とアフィリエイト またしても「CONTENT'S FUTURE」の中に出てきた話。 CDTube という「カウントダウンTVのサイトからランキングデータを引っ張ってきて、その楽曲をYouTubeで自動的に探してページ内にEmbed表示させるサービス」(キャッシュ)があって、これは著作権的に限りなく黒なんだけど、それでもレコード会社などからサービスの停止などを命じられずにグレーの状態で存続し続けている要因が、それぞれの楽曲の動画の下に貼り付けられているアマゾンへのリンク。 ちゃんと売り上げにも貢献しているのでギリギリOKというわけです。 アルバムのジャケット画像とか歌詞とかをブログに載せたりすると、それは引用なのかどうなのかとか、どっちが主でどっちが従だとかってややこしくなってきたりしますが、そこにきっちりアフィリエイトリンク(というか著作物の購入につながるリンク)があることで、そのへ
「ふわり」と「さらり」と この前ちょっと奮発して、いつも通りかかるとお客さんがいっぱいで、いかにも流行ってる感じで気になっていたレストランでランチを食べました。チキンをトマトソースでグリルした料理を食べました。とても満足できる料理でした。 いっしょに皿に盛られたライスが付いてきたのですが、久しぶりにナイフとフォークで食べてみました。ファミリーレストランなんかでハンバーグランチを食べるときは、ハンバーグが箸でも切れることもあって、あんまりがんばらずに箸を使いますからね。 フォークの背にライスを乗せて、口へ運ぶあいだに落ちてしまわないようにナイフでギュッとフォークに押し付けて。こうやって食べるライスは、たぶん日本人的にはあんまりおいしくありませんよね。あくまでもライスであって、ごはんじゃないって感じ。茶碗に「ふわり」と盛ったごはんを、箸で「ふわり」と食べるのが日本人です。ごはんの粒と粒のあいだ
r はのばさない もうかなりまえのことですが、どこかのブログでこんな記事を読みました。確かこんな感じだったはず。 「英語の発音の中には日本語で言う『ー』や『っ』の発音はない。つまり『Cheese』は『チーズ』ではなく『チイズ』であり、『Browser』は『ブラウザー』ではなく『ブラウザ』であり、さらに正確に書けば『ブラウズr』であり『Book』は『ブック』ではなく『ブク』で、『Mac』も『マック』じゃなくて『マク』なんだよ。」たぶんココだったはずなんですが。 ON/OFF and Beyound これを読んで、のどに引っかかってた魚の骨が取れたみたいに、なんだかやたらとスッキリした気分になりました。目からうろこが落ちまくりです。 うまくネイティブっぽく発音できないのは、日本語にあって英語にない概念を理解できてなかったからなんですね。 「っ」の方は、発音される音がそれほど変るわけではないので
Tumblr にどっぷり浸かってみてわかったこと このまえのロシアも含めて、タンブラーを続けていていろんなことがわかったりしてるんですが、最近ひとつ大きなことに気づきました。それは、 プログラムって、プログラマーってスゲーーーーー!!!! ってことです。 タンブラー前だって、それなりに Firefox 使ったり、グリモン入れたり、Stylish で好みの CSS を適用したりはしてました。でも、確かに便利かもねー、程度のものだったかもしれません。なんか冷静な感じ。プログラムやプログラマーの存在はもちろん認識してるんだけど、なんだか遠いところにいる感じ。お友達にはなれそうにない感じ。 それがタンブラー後。 これはタンブラーが革命的コンセプトのもと、とてもシンプルに作られているからだと思いますが、次々とタンブラー向けの UserScript や UserStyleSheet がリリースされまし
「待つ」ということ ちょっとまえの朝 通勤中の車の中で聞いていたラジオのミニドラマで、 こんな話が流れてきました。 *** 携帯電話がまだなかった時代。 友達と、ある交番の前で待ち合わせをしていて、 でも、お互いに別々の交番の前で待っていて、 ずーっと目の前に立っている友達を見かねた親切なおまわりさんが 「もしかしてあっちの交番じゃないですか?」と教えてくれて、 待ち合わせ時間から2時間以上がたって、 もう来ないのかな? とあきらめかけた頃にようやく 向こうから息を切らして駆けてくる友達とめぐり合えた。 その友達とは、それから10年経った今でも大親友だ。 *** 携帯電話が普及して以来、 正確な場所や時間を決めずに待ち合わせするのが当たり前になって 逆に携帯電話を持たずに人と待ち合わせするのが とても不安に感じられるようになってきています。 こんな時代だからこそ たまには上のエピソードのよ
AutoPagerize + LDRize ですよ。 うろ覚えなんですが、確かアップルのユーザーインターフェイスの担当者が、マウス中心の操作による作業と、キーボードショートカット中心の操作による作業を比較した結果、ビギナーもヘビーユーザーも含めたすべての被験者において、マウス中心の作業の方が効率的にすばやく作業ができることがわかったそうです。この結果はいくら実験を重ねても変わらなかったそうです。うろ覚えですけど。 で、ホントにそうなのかなぁと思いまして、ためしに職場の PC で livedoor Reader を見るとき、マウス中心の操作に切り替えてみました。 記事表示エリアにマウスカーソルをおいて、スクロールホイールで記事をスクロールしていきます。気になる記事を見つけたらピンを立てずに記事タイトルをホイールクリックして背面タブに開いていきます。そのサイトの記事を最後まで読んだら左手で「w
ふつう、ということ この記事を読んで考えたことを少し書いてみます。 「ふつう」の価値:DESIGN IT! w/LOVE家内とは大学時代からの付き合いで、彼女に出会ってから18年が経ちました。その間に半年間だけ、僕の都合でまったく会えなくなった期間がありました。 長距離バスから降りて半年振りに彼女に会ったとき、彼女はいつものように微笑んで迎えてくれました。特別じゃなく、いつもの微笑で。そのあと喫茶店に入ってたわいのない話をして、それからカラオケへ行って歌を歌いました。 それはそれで楽しかったんだけど、半年振りの再会がもっと特別なものであることを期待していた僕は、その不満を正直に彼女に話しました。すると彼女はこんなことを言いました。 「なにか特別じゃなくて普通に過ごしたかったの。」 ふぅんそうなんだ、と僕はいまいち納得いかないまま、彼女に合わせることにしました。彼女と付き合い始めてから約2年
説明する文化、しない文化 北野武監督が「その男、凶暴につき」を撮ってしばらくたったころだと思うのですが、雑誌のインタビュー記事の中でこんなことを言っていました。記憶の糸を辿りながら北野武口調で再現してみます。 「日本ってのは『暗黙の了解』の文化なんだよ。いわゆる『言わなくてもわかるでしょ』ってやつ。映画を撮るときも日本人は、背景の説明なしにいきなり始めたりする。それがハリウッドでは、あっちは多民族国家だからかどうか知らないけど、まずは説明からはじめるんだ。これはヨーロッパへいってもそう。国境を接した言語も文化も違う人たちに対して、まず説明からはじめるんだ。」 みたいな感じだったと思います。それを読んで僕は「な~るほど~」とやたらと納得したのを覚えています。で、さらに彼の撮った映画を観てさらに納得しました。 なんでこんなことを思い出したかというと、クールなウェブサービスってだいたい極端に説明
ReBlog 論 その後もあいかわらず Tumblr にハマっております。 で、ReBlog なんですが、「論」ってほどのものではなくて、全然まとまっていなくて、モヤモヤしっぱなしなワケですが、記事タイトルなので無駄にキャッチーにしてみました。 Tumblr をはじめるとまず引っかかるのが ReBlog です。 誰かの Tumblelog に気になる記事を見つけたら、まずその記事のパーマリンクを表示して右上の ReBlog ボタンをクリック。で、そのまま左下の ReBlog Post をクリックしてもいいし、その記事に好きなように手を加えてから(!!)Post してもいい。Dashboard ではもっと簡単で、Friends の気になる記事を見つけたら、そこへカーソルをホバーすると表示される ReBlog アイコンをクリック。で、Post 。最短2クリックで Reblog 完了です。なんだ
Tumblr にハマる おもしろくてしょうがないんですけどコレ。 Tumblrで、できたのがコレ。 :: H & A :: tumblr僕が探した中で Tumblr についてもっともわかりやすく説明されているのはこの記事。 アルファブロガーを魅了する“ミニブログ”“はてブ”以上、ブログ未満コレ(↑)はまさにその通り。Tumblr にのめりこみ始めてからというもの、僕の場合は「はてブ」もミクシィ日記もブログのエントリも減り始めているような気がします。なんだか Tumblr にクリップしただけで満足してしまいます。 なんでしょうか、このオモシロさの正体は。おぼろげに見えてきているのは、Dashboard と ReBlog になにか秘密がありそうだ、ということです。 シンプルだけどツボを押さえた高機能な Bookmarklet によってお手軽ポスト。やる気になればどんどん拡張できるテンプレート。
美しさ、とは Passion For The Future: 世界でもっとも美しい10の科学実験を読んで。 この本の著者が定義した、美しい実験が持つ要素というのが次のようなものだそうです。 ・深いこと 結果が基本的であること ・効率的であること 各部が経済的に組み合わされていること ・決定的であること 結果として生じるのは実験にではなく、世界や理論へ、の疑いであること これは私が理想的な建築、あるいは理想的な建築設計について感じていることと完全に一致します。 理想的なもの・人の心を一気に惹きつけてしまうもの・誰もが文句なしに美しいと思うものというのは、どんなものであれ、どこかで一致するのかもしれません。 さまざまな与条件をていねいに読み解き、必要であればこちらからの提案により与条件自体に修正を加え、ヒアリングとプランニングを積み重ねながら試行錯誤を繰り返して根気よく作業を進めていくと、ある
ブログとジャーナリズム 「市民みんなが記者だ」をテーマに最近リリースされた OhmyNews が色んなところで話題になっています。 「ブログのエリート」なんて気のせいです:[mi]みたいもん! 岡田有花>VS>鳥越俊太郎 | 近江商人 JINBLOG 「市民記者」という考え方が、既にもうどこがズレてしまっているのかもしれません。 プロのライターが書くブログがたくさん読める状況ではありますが、プロのライターではない一市民であるブログ運営者を「ブロガー」としたとき、「ブログのエリート」という考え方は、我々「ブロガー」にとって違和感を憶えるものだと思います。 もちろん、クオリティの高い記事を書き続け「神」とも呼ばれることもあるような「ブロガー」の存在も認めます。しかし、「ブロガー」の書く一つ一つの記事は、プロのライターが綿密な取材と何度とない推敲を重ねて練り上げた記事と比較すれば、取るに足らない
あなたはムラを許容できるか ビジネス文書が手書きからワープロに取って代わられた頃からでしょうか、手作業によって発生する「ムラ」の許容範囲が急激に狭くなってきています。 機械でやったように均一でムラのない作業を人間に求めたりします。 建築で、自然の石の模様や木目を生かした仕上げをすることがありますが、そんな場合にも色ムラでダメ出しされたりすることがあります。ちゃんと職人さんが気を使って、できるだけムラが目立たないように並べてくれているのにです。 木目といえば、昔こんな失敗をしたことがあります。 予算などの関係で木目をプリントした建材を使った時のことです。ここでも職人さんが気を使って材料を並べてくれたのですが、人工の木目だったために、同じ木目がズラッと並んでしまったのです。普通は逆さまにしたり途中で切ったりして使うものをそのまま並べてしまったのです。 とても不自然な感じがして、私は、大変だけど
アクセス解析、乗り換えました。 +LOVE IS DSIGN+ の「おすすめアクセス解析」を読んで、Research Artisan が良さそうだったので試してみました。 で、これが予想以上に良かったんです。 解析結果を見ていたら面白くて、昨晩小一時間眺め続けてしまいました。なんといっても面白いのは、ある人がどのページから入ってどのページへ飛び、どのリンクをクリックしたか、というのが手に取るようにわかることです。 これまでは、Ninja と Google Analytics と MyBlogLog 。それから track feed に track word と、実にたくさんのアクセス解析を利用してきましたが、全部はずしてこれひとつにしてしまいました。 とても身軽になった気がします。これまでは色んなスクリプトがやたらとべたべた張り付いていましたから。心なしか読み込みも速くなったような気がしま
想うことで伝わることや叶うことがあると信じたい ここでは、強く思うことを「想う」と表現することにします。 もうすっかり乗り遅れてしまっているのですが「鏡の法則」についての話しです。 ブログ界隈では、この話しについて割と否定的な意見が散見されたように思いました。 多かったのは「変化の根拠が示されていない」とか「トンデモ科学だ」とかいうものや、登場する母親の子育てに対する意識について批判するものなどです。 私の場合は、文章のあちらこちらに稚拙さを感じたり、最後の方で本の紹介がされるのにちょっとしたアサマしさを感じたりはしたものの、絶対に泣いたりなんかしないだろうと思って読みはじめたのに、最後には涙がとまらなくて困ってしまいました。会社で。 それで感じたのは、いろんな批判の主たちは「想うことで伝わることや叶うことがある」ということが信じられない人たちなんだろうなぁということです。 なにかを実現し
恐るべし徳力メソッド Webdog さんが提唱した「[w]徳力メソッドというブログの書き方」について、モダシンさんが言及していらっしゃいます。 Modern Syntax : 徳力度の高い「未読RSS恐怖症」対策記事 あはは、そんなの狙って書けないよ、ハハハ。なんて思いながら読んでたんですが、エラいことに気づいてしまいました。 この前はてブ祭りでアクセス特需をいただいた当ブログの記事「半角スペースのススメ」が徳力メソッドっぽいのです。 タイトルうんぬんとか3つほど挙げられてる条件にはどれにも当てはまりませんが、実はこの徳力メソッドの一番のキモだと思われる「ツッコミどころ」→「ツッコミ・言及」→「はてブ・被リンク」→「ウマー」という構図にぴったりハマっています。 その次に書いた「はてなブックマークの日本的役割」という記事は「至極まっとうな正論を理路整然とスマートにズバッと書き切っているような
「やればできる」はできないのと同じかそれ以下 だいぶ前にどこかで読んで、ずっと心に引っかかっていることがあります。その文章の内容はだいたい以下のようなものです。 「有能なひとが自分の能力を少しセーブして、他のみんなよりも少しだけできるように振舞って楽していたりすると、いつの間にかそのセーブした状態がそのひとの実力になってしまう。」 恐ろしいことですが、これはたぶんホントのことなんだろうと思います。そして、有能なひとじゃなくても当てはまることなんだろうと思います。 カンブリア宮殿にワタミの社長が登場してこんなことを言ってました。 「睡眠時間3時間で毎日毎日がんばっていると、最初はとてもつらいけど、そのうちにそれが普通になって、全くつらくなくなってしまう。」 さっきのとは全く逆のことを言ってるんだけど、人間は慣れによってどうにでもなってしまう、というところが共通しています。 自分自身をどういう
はてなブックマークの日本的役割 以前「ウェブに文章を書くということ」という記事を書きました。 そのなかで Heartlogic さんの「ブログは新しいインフラでありプロトコルになった」という記事を取り上げました。 ここで指摘されている「ゆるいコミュニケーション」とか「心の消費カロリー」とかって概念が素晴らしくて、日本のブログやソーシャルネットワーキングサービス、ウェブ掲示板などにおけるサイバーコミュニケーションを理解するのに、これほどストンと分かりやすいものはないと思っています。 アメリカで登場したブログというツールは、トラックバックという、それまでになかった新しい機能を搭載したことによって爆発的に流行しました。あるブログのある記事と、その記事に対して言及した自分のブログの記事とを結びつけ、記事の筆者同士が積極的なコミュニケーションをはかるための機能でした。 しかしそれは、ブログ運営者のほ
半角スペースのススメ アルファベットで表される単語の前後には必ずスペースが存在します。このスペースがあることで、それがひとつの単語であることが分かります。 This is a pen. が Thisisapen. となっていると、なんのことだか途端に分からなくなります。 ここでもうひとつ重要なのが、アルファベットの単語が日本語の文章の中に入ったときにも、前後にスペースを入れるか入れないかで読みやすさが大きく変わるということです。 日本語の文字とアルファベットが並ぶ場合、スペースがなくても単語の切れ目が分からないということはないのですが、どうもアルファベットの文字というのは、単語の前後にスペースが入ることを前提にデザインされているみたいで、スペースがないと妙に詰まった感じになってしまいます。 試しにやってみましょう。 今日はApple Storeへ行ってきました。今日は Apple Stor
プロフェッショナルな感覚 Letter from Yochomachi のNHK 生活ほっと:「心を入れて演技すると、逆に伝わらない」(イッセー尾形)を読んで。 バーテンダーだって、始めて間もない頃には心を込めて「いらっしゃいませ。」を言っていただろうと思います。でもその頃は初々しさとともに落ち着きのなさや偽物っぽさを漂わせているのでしょう。年季が入って、心を入れずに「いらっしゃいませ。」を言うようになった頃、落ち着きと居心地の良さとともにプロとしての本物感を漂わせるのかもしれません。 私が建築設計の仕事を始めた頃(その頃はまだ CAD ではなくて手描きでした)、1本の線がなかなか引けませんでした。プロとしての知識も技量もない私が描いたこの図面をもとに、建築の予算が決められたり、さまざまな職人さんが手を動かしたりすることになることを考えると、もっとよく調べて確信を持ってからでないと怖くて線
ブログを長く続けるために いろいろなことを3日坊主で終わらせてきている私ですが、このブログは長いこと続けているものです。長いことやっていると、それなりのものが出来上がってきます。サイトデザインや文章の書き方、コミュニティとの関わり方など、始めた当初と比べるとかなりこなれてきて、雲泥の差があります。なんだかちょっと、自分が成長したような気がしてきます。 せっかく始めてもすぐに終わらせてしまっては何にもなりませんし、とにかく続けることに価値があると思うので、長くブログを続けるためのコツを私なりに書いてみたいと思います。 第一にブログの内容を既存のカテゴリーにはめ込まないことです。 大量に存在するブログを体系的に整理して分かりやすくするため、音楽やスポーツ、旅や食事など、さまざまなカテゴリーが作られていて、いろんなところに自分のブログを登録するときなんかに、何について書かれているのかやたらと聞か
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『:: H & A :: blog: 引っ越しました! This blog has moved.』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く