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会話術
happy-hour.hatenablog.com
ここ11年くらい大好きだったジャニーズアイドルの河合郁人くんが2023年12月21日に所属グループであるA.B.C-Zを脱退した。 これを機会に12月22日に今年のことというかジャニーズのことをちゃんと書いておこうと河合くんの脱退が発表されてからずっと考えていたので、翌日であるところの本日書こうとしているのだが、現状では昨日の公演が非常に素晴らしく、晴れ晴れとした悲しさというか、時計の針を彼らが進めるつもりになっているというか、それは戸塚祥太くんが言っていたけど脱退じゃなくて脱進とでも言いたいような、あるいは卒業といいたいような、なんといっても公演最後はいってらっしゃい、いってきます、で終わったので、私もそういう気持ちである。しかし時計の針を進めるためにやっぱりジャニーズの話をしておこう、となった。あとA.B.C-Zと河合くんの話を。 河合くんが12月21日に脱退すると発表されたのは9月2
この数年でゆっくりと楽になり続け、46歳になって圧倒的に気持ちが楽になったことがひとつある。それはこどもを産まないことがほぼ確定したということだ。もちろん同世代でがんばっている人たちもいると思う。でも少なくとも私はこどもを産まなかった女としてこの先の人生を生きていくことになるだろう。 女性は若い頃から「こどもを産むタイミング」について考えさせられる。早いうちに「こどもは産まない」あるいは「こどもを産む」と決められれば楽だと思う。私の世代ではいろいろがなかなか難しいことであり、その結果少子化が進んだ。 私は10代の頃からお母さんになりたかった。こどもが欲しかった。理由はよくわからない。今の私が追及する意味もない。30才の時結婚をして、その後に妊娠をした。しかしダメになってしまった。それから離婚して、次につきあった人はこどもがいらないと言った。そして彼と別れ40歳になった。タイムリミットが近い
大塚ギチが死んだ。感想は「そうか」としか言いようがない。ギチが死んだのを知ったのは多分比較的早い方だったと思う。とりあえずその死がどう処理されるのかもわからないし、まだあまり口外できる状況ではない。とにかくギチが死んだ。知らせを受けたその深夜にこの文章は書いている。いつか公開する日のために。人の死を文章にすることに抵抗がなくはないのだけど、これは私のための文章だ。公開することまで含めて私のためだ。書いてはならないことを書くかもしれないが、それは許してほしい。 ギチと親しかったのかと言われると、私よりもっと親しい人たちはいただろう。ただたまに夜更けに電話がかかってきて、いろいろと話をした。それは事故前も事故後も。事故後にふたりで飲むことはなかったけれど、事故前にふたりで飲んだことは何回かあった。事故前、最後に私と飲んだとき、ギチは「ねえ金巻は俺とセックスしないの?」と繰り返し言っており「しね
あっ、ひさびさの記事がいきなりステマめいた記事ですみません。でも一銭の金ももらってませんし、商品ももらってません。 かわるビジネスリュックというのはこのリュックのことです。 superclassic.jp お値段もちょっとお高めですし、私個人、気になりつつも購入を躊躇してたんですね。そしてなにより女性が背負うにはでけえ! ただわたしはとにかくPCを持ち歩きたいので、基本の移動はリュックなのです。だってトートとかで持ち歩くと肩ちょうつらいじゃん!? さらにそこに防振双眼鏡入ると米俵みたいな重さじゃん!? ちなみに普段のリュックはモレスキンリュックです。(https://www.moleskine.co.jp/) イラストレーターwomi(http://mrk3018.tumblr.com/)のワッペン貼ってます。しかしこれ、サイズ的に遠征(コンサートで地方に行くことを遠征といいます)にはちょ
「ものを書く人間は、みんな嘘つきです。」 【SPUR】「狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ」 #16 | 雨宮まみの「本でいただく心の栄養」 雨宮まみの形見分けに行ってパキラを引き取ってきた。このパキラは5年前、私が彼女に贈ったものだ。 その時のパキラは卵を模した陶器に入った手のひらサイズだった。それに私はカードを添えた。パキラのように伸びて行ってほしい、と。それは彼女の初めての単著に寄せてだった。 その時のこととパキラについて彼女が書いた文章が残っている。 www.mochiiejoshi.com 5年ぶりに再会したパキラはすごく育っていた。でも幹は細いまま背ばかり伸びて生い茂っていて、本当にこの5年の雨宮まみのようだと思った。こんな風に言ったら誰か怒るかもしれない、最近の彼女を知っている人たちはそんなんじゃないと言うかもしれない。でも私は本当にその時そう思ったのだ。 形見分けを手伝われ
10/1から10/2にかけてA.B.C-Zの大阪城ホールのコンサートに行ってきました。しばらく泊まりがけの遠征を自分に禁じていたので、およそ3年ぶりの泊まりがけの遠征です。 10/1の夜公演、大阪初日。河合郁人さんがソロコーナーの後半でSMAPの『夜空ノムコウ』を歌いました。イントロが流れ出したその瞬間、私はなにがおこったのかよくわからず、泣き崩れそうになりました。隣の友人が「ちゃんと見て!」と言って私の腕を掴みました。支えてくれました。正直なところ、私はあの瞬間、自分がどんな気持ちだったのか、もうよくわかりません。他のお客さんたちがどんな反応をしていたのかもよくわかりません。私は1月の騒動以降、初めてあんなに泣きました。体の震えが止まりませんでした。泣きながら『夜空』を歌う河合さんを見ていました。途中に河合さんは木村さんの物真似まで入れてちゃんと笑いもとって、歌い終わったあと「僕も偉大な
それもわざわざ本厚木まで行って。 公開期間中に都心で見なかったのは、その頃ちょっと精神的に参っていて、心を動かすことがしんどそうだったからだ。その上で東京ドームでも武道館でも横浜アリーナでも、なんならポリリズムのサンシャイン噴水広場でも泣いてきた私なので、とにかくちょっとしんどそうだな、と思ってしまったのだ。 そんで見た。一番の感想は「相変わらずだなあ」というかんじだった。本当に相変わらずだった。あの頃となんにも変わらずに、でもはるかにプロフェッショナルで、きれいなお姉さんになった3人がそこにいた。「相変わらずだなあ」と思いながら泣いてしまった。「すごいなあ」って。本当にすごい。本当にすごいなあ。 私が初めて彼女たちに出会ったのは彼女たちがまだ中3の頃だった。亀戸サンストリートも今はもうないんだっけ。とにかくそういう小さなステージに3人がいた。今見れば垢抜けない女の子たちなんだけど、踊りが
「エンタテイメントの力を信じている」人たちが、今までいっぱいの希望と笑顔をくれた人たちが、あんな顔であんな風にあんなことをバラエティ番組でさせられる、まるで公開処刑のようなそれに暗澹たる気持ちしか抱けない。あれもまたエンタテイメントだというのか。後輩たちの未来にも絶望する。それでも私たちは待つしか出来ない。つかれた。 笑顔抱きしめ悲しみすべて街の中から消してしまえ オリジナルスマイル アーティスト: SMAP,森浩美,CHOKKAKU,庄野賢一 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント 発売日: 1994/06/06 メディア: CD 購入: 1人 クリック: 143回 この商品を含むブログ (10件) を見る
SMAPは人生。 ということを冗談でよく言っていたし、Tweetしたけど、よく考えたら冗談でもなかった。 中2のとき、定期入れにSMAPのカードか切り抜きが入ってた。当時スケートボーイズかもしれない。もはや記憶は不確かだ。記憶は嘘をつくけど、でも中2なことはたぶん間違いないと思う。ちょうどテレビに出始めた頃でまだJr.だった。VHS録画に『歌のビックファイト!』が残っていた20代の記憶はあるから、多分大丈夫だ。間違ってない。あの頃はコンサートなんて行けなかった。STOP THE SMAPの初回を聞いた記憶もある。 高校生のとき、初めてコンサートと公録に行った。 初めてのコンサートはSMAPじゃないけど、初めての公録はSMAPだった。 初めての番協もSMAPだ。 初めて作ったWebサイトもSMAPファンサイトだ。 初めてのネットともだちだって作ったのはSMAPファンサイトだ。 初めてネットで
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