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会話術
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宮崎駿監督作品における父親の存在感の希薄さについて考えてみた。 そもそも、宮崎アニメに父親が登場することは稀だ。 『風の谷のナウシカ』では、族長ジルが娘であるナウシカと言葉を交わす場面が原作漫画にあった。 しかし、映画版では父親は開幕早々に殺害されてしまう。 他の作品でも、主人公の父親が活躍する場面はない。 『となりのトトロ』では慕われはするが影が薄く、『千と千尋の神隠し』もまた然り。 父と交流するサツキと千尋。この二人が少女(=娘)であることに着目したい。 翻って、少年であるパズー(『天空の城ラピュタ』)、宗介(『崖の上のポニョ』)、アシタカ(『もののけ姫』)の場合はどうだろう。 パズーの父は冒険家として尊敬されているものの既に他界している。 宗介の父(耕一)も立派な船長だが、物語の最後まで息子と接触することはなかった。 アシタカの父にいたっては、そんな人いたっけ?だ。 なぜ、こんな考え
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