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『ふたつの東京五輪』 第1回 「五輪前夜」 <前編>(松原孝臣)
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『ふたつの東京五輪』 第1回 「五輪前夜」 <前編>(松原孝臣)
1964年10月23日、バレーボール女子日本対ソ連の決勝戦。“東洋の魔女”が金メダルを手にした瞬間、テレビ... 1964年10月23日、バレーボール女子日本対ソ連の決勝戦。“東洋の魔女”が金メダルを手にした瞬間、テレビの視聴率は85%に達した。 日本中が固唾を飲んで見守った歴史的瞬間、若き日の岸本健は公式記録写真のカメラマンとしてその場にいた。駒沢屋内球戯場はとにかく暗かった。フィルムも現像技術も今ほど発達していない時代。連日連夜、死に物狂いでアスリートの姿をフィルムに焼きつけていた。 特別連載企画『ふたつの東京五輪』は、2016年東京五輪招致にあわせ、日本初のフリーランス・スポーツカメラマン岸本健が東京五輪の記憶を綴った物語である。 私はこれまでに23回、夏・冬オリンピックの撮影を行なってきました。その最初が1964年の東京オリンピックであり、新しいところでは昨年の北京オリンピックです。つまり、日本が不参加だった1980年のモスクワも含めて、東京以後すべての大会を現地で撮り続けたことになります。