エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【子だくさんには理由あり!】徳川家康が側室選びでこだわった意外な着眼点
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【子だくさんには理由あり!】徳川家康が側室選びでこだわった意外な着眼点
戦国の世を終わらせ天下人となった徳川家康。しかし、家康は幼い頃から家庭には恵まれていませんでした... 戦国の世を終わらせ天下人となった徳川家康。しかし、家康は幼い頃から家庭には恵まれていませんでした。父・松平広忠は家康(当時・松平元康)が幼い頃に、家臣によって殺害されてしまいます。弱体化した松平家への支援を得るために、家康は人質として今川義元を主とする今川家に預けられることになります。 今川義元を描いた「太平記英勇伝三:今川治部大輔義元」 しかし途中で拉致され、織田家に送られることに。さらに、再び今川家に送られ、長い人質生活を送ったのです。 そう、家康は幼少期に家族の愛情をほとんど知らずに育ちました。そのせいでしょうか、家康は家族に対して情に流されることなく冷淡に合理的に対処していっているのです。 正室と嫡男の命すら差し出す 正室となった築山殿(瀬名)は今川義元の姪といわれています。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』では菜々緒さんが演じていましたよね。そんな築山殿と家康の間には、長男・信