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会話術
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ここオーストラリアに戻ってきて3ヶ月が経とうとしている。 2ndビザを使用しているのだが、1年目が終わった時に唯一心残りだったのがwwoofだった。 前回のラウンド中は正直お金を稼ぐのが主目的になっていた。というよりも個人的な財政事情からそうならざるを得なかった。 日本で返さないといけない借入金があったからなのだが、これではダメだということで1年目が終わり次第日本に戻り実家近くの工場で半年程働いて何とか財政事情は安定化したわけである。 2ndではなく観光ビザで戻ってきても良かったのだが、何か2ndを使わずにいるのが気持悪かった事もあり、申請料金が値上がりしたてではあったが今は2ndを使用して正解だったと思っている。 いざとなれば働いてお金が稼げるからだ。 仄聞程度ではあるがwwoofでもお金を稼ぐ事ができるというのを聞いた事がある。 ホストがレストラン等を併設したりしていて、wwoofの仕
タスマニアにやって来てから現在で3件目のwwoofホストのところにお世話になっている。 1件目、2件目共に1週間程滞在した。 1件目はチリから40年程前に移住してきたチリ人のホストファザーと米国生まれのホストマザーの2人暮らしであった。 驚いた事に子供は6人いるらしく長男は既に57才になるそうだ。自分の母親が59才の為ご子息がホストであってもおかしくはない。 そのご子息はハーバードともう一つ世界的に有名な大学の学位(どこかは失念)を所持しているらしく、つい先日までスコットランドの大学で教鞭をとっていたらしい。 ホストに出会ってすぐにいろいろ話しを聞いているとホストマザーは50年近く前に日本を訪れた事があるという話しをしてくれた。8月に行った為蝉がうるさかったらしい。確かにオーストラリアの蝉は日本程元気はない。 そう考えると何故あれほどまでに日本の蝉は巨大な音を奏でるのか不思議になった。 他
wwoof生活も早くも7件目である。2ヶ月弱で7件である。 この間クリスマスホリデーと正月を挟んでペースが落ちた事を考えるとそれなりに早いペースで回っている気がする。 これまでを少し振り返るといろいろな人がいるという至極当たり前の結論に至る。 あえて言う必要性などないが、やはり全員が全員良かったわけではないし、相性が合わない人もやはりいる。 何が良くて何が悪いかはその人次第であるが、1つだけ多くのホストに共通する事柄がある。 地球の環境保護についてかなり意識的な人が多いという事だ。 ここタスマニアでもそれは顕著に垣間見れた。 前回記したチリからの移民であるホストはかなり気を使っていた印象だ。 日本語の「mottainai」を常々使用していた事からもその意識の高さの一端が垣間見れた。 作った食べ物はゴムべらですくい取って少しでも廃棄がないようにしていたし、太陽光発電や水の使用制限などは彼らの
現在滞在中の山小屋から見えたdusk(夕暮れ時)の写真。 近所の方々が集まって家の中で食事をしている時に誰かが「おい、外を見ろ!」と言わんばかりに発見。 珍しい雲の形や夕焼けの反映具合がまるでこの世の終わりかのようだった為そぞろそぞろと皆さんデッキに出て写真撮影会開始。
今住んでいる山を切り開いた家の裏手にMt.Arthurという標高1190mの山があるとホストより教えてもらった。 オーストラリアにやってきてからいわゆるbush walkingというのをやったことがなかったので翌日にでも登ってみたいと申し出たところすんなり許可が出た。 年に1~2回は登頂するというホストによると家から登山口まで約1時間かかり、登山口から頂上まで登って再び登山口まで戻ってくるには5時間かかるらしい。そして再び登山口から家まで戻ってくるのに約1時間かかるから少なくとも7時間はかかるだろうという見通しらしい。 正直そんな本格的な登山など日本にいる時にもほとんどやった事がなかったので登りきれるか不安であった。ただホストからは頂上に登り切るのが目的ではなく楽しむ事が一番重要だと言われ、充分楽しんだら途中であろうが引き返してきなさいと助言を頂いた。 また今回のこの行動の目的は上に書いた
職人らしく炊事、洗濯から料理に至るまであまり得意な人ではなかった。 ファザーからはHuon pineという世界でタスマニアにしかない木がある事を教えてもらった。なんでも一生腐らないものらしく現在では伐採に許可が要るらしい。 こちらがHuon pineを使用した家具。 彼はここで作った家具を店に卸す為に数ヶ月に一度200km以上離れたホバートまでトラックで運んでいるそうだ。店の立地が良いため今のところ自宅に店を構えて自分の家具を宣伝するつもりはないらしい。 マザーはnursing home(老人ホーム)で働いている。私の滞在中にちょうど15年働いた勤務先を退職した日に出くわした。なんでもかなりストレスの溜まる勤務先で徘徊する人やご老人から罵詈雑言を浴びるのは日常らしい。確かに老人介護の現場で働いている人からそういう話しを聞いた事がある。 退職した翌日には彼女のささやかな退職記念パーティが催さ
オーストラリアにセカンドビザで戻ってきてちょうど3ヶ月が経過した。2月16日からは約1ヶ月近く滞在したLaunceston近郊を離れ州都Hobartの南約40kmのHuonvilleにあるHuon bush retreats(山奥にあるキャンプ施設兼保養所のようなところ)にてwwoofをしている。 Launcestonからはバスを2回乗り継ぎ一気に200km以上南下した形になる。 ここにはwwoofを通して来ているが野菜畑があったり牛や豚などの家畜類がいるわけではない。 この施設はPaulとMichealの男性二人により管理されている。 彼らは同性愛者として結婚している事を初日に知ったが、来る前に男性名が連名であったのである程度は予想していた。 それまでに同性愛者の人と面と向かって喋った事がなかったので正直自分の中に若干の不安のようなものがあったが会ってみたらそんな不安などすぐに消え去った
前回記したように滞在していたHuon Bush Retreatでプロモ用にCMとWeb用の撮影があった。お伝えした通り私もcrazy Japanese tourist(一眼レフカメラで写真を撮る典型的な日本人という設定)として後ろ姿だけではあるが出演する事になった。 撮影は12時からだったが撮影クルーが40分程遅れた。何故かモデルさんは10時から入っておりPaulと出演するもう一人の従業員と供にクルーがくるまでリハーサルをした。 以下リハーサルの様子 このカメラ前にいる男女であるが地元タスマニアでは有名なラジオパーソナリティーのKylie と Daveである。私は当然ながら誰だか知らずに言葉を交わしたが人当たりのよさや如才のなさはさすがだと感じた。 今回のプロモ撮影はこのHuon Bush RetreatだけでなくHuonville一帯にある観光業者20箇所が共同で参加しており、彼らKyl
Huonvilleからタスマニアの州都ホバートへ戻る為にヒッチハイクをした時の事だ。 50台ぐらいヒッチハイクを試みたがなかなかうまくいかない。雨もポツポツ降っていたので早めに車に乗りたい気持ちが高ぶっていた矢先に小奇麗な軽自動車が止まってくれた。 中を覗いてみると白い歯を見せながら笑顔を浮かべている黒人が運転手だった。 ホバートまで行くという事だったので相乗りさせてもらった。 黒人を相手に話すのはオーストラリアに1年以上いるが初めてだったせいもあり、最初は身構えた。 御礼がてらおそるおそる話しをしていると彼は南スーダンからの難民という事が判明した。 「南スーダン?」 私が南スーダンについて何も知らない事を一言詫びを入れた上でその国で何が起こっているのかを彼に聞いてみたところ、キリスト教とイスラム教の宗教対立によって多くの難民が発生している事を教えてくれた。 穏健派が多いキリスト教徒に対し
前回のHuon bush retreatと同じHuonville近郊にあるホスト先での滞在が先日終了した。これでちょうど10件のウーフ・Helpx先を訪ねた事になる。 記念すべき10件目のホストはceramic(陶磁器)作製を生業としており、ハンガリーとフィンランドからの移民夫妻がホストだった。 彼らの職業はceramic artistである。洋の東西を問わず何かのartistとして生計をたてるのは楽ではないと聞く。事実このホストも例に漏れないとホストマザー自ら証言する。 儲かるアーティストというのは”政治”がうまい人の事だとマザーから聞いた。この世界ではアート作品の上手い下手もさることながらやはり業界内で顔が利かないと大きな個展を開いたりそれなりの生計をたてるのは難しいそうだ。 ホストの住んでいる家や車等を見ていると失礼ながら裕福な暮らしぶりには見えなかった。 ただ彼らの生活はお金ではな
陶磁器アーティストのホストのところにお世話になって1週間ほど経過したある日近くを流れるHuon riverに立ち寄った際にこの川で鰻が釣れるとホストが教えてくれた。 オーストラリアでウナギなんて今まで聞いた事がない。オーストラリアではスーパーやどこかのマーケットに行ってもウナギを見かける事はないし、そもそもその存在を知っているのかというぐらいこの国ではウナギの存在感がないような気がする。仮に存在を知っていたとしてもあのヌルヌル感と蛇のような容姿が毛嫌いされ完全にゲテモノ扱いされている事がその存在感のなさから伺える。 すっかり興味を持ったのでその数日後にホストと一緒にウナギ釣りに出かけた。やつらは夜行性の為午後8時過ぎから釣りを開始した。 その日は前日に降った雨の影響で川が増水しており流れも速くうなぎが釣れる期待値は高くないように見えた。また寒風も吹きすさみそれがさらに我々の士気を下げている
タスマニアにやってきて約4ヶ月が経とうとしてます。今いるHuonvilleも朝晩の冷え込みが結構厳しくなってきましたが、何より日没の時間が夏に来た頃に比べると大分早まりましたね。1月とか2月だと夜9時前ぐらいまで暗くなりませんでしたけど、今はもう6時過ぎには暗くなっちゃいます。夏が過ぎ去っていくって寂しいですがこちらは昼間はまだ温かいので冬服を持ち合わせてない自分にはまだ救いですね。荷物をいかに少なくするかが死活問題の旅人にはお日様の力が強いのはありがたい事です。夜は夜でヒーター+ブランケット重ね寝作戦で凌げますから。 そんなこんなでタスマニアの寒さが本格的に牙をむく前に自分はメインランドである大陸側に戻ろうかと考えております。次はどこに行くとか未定ですけどメルボルンが第一候補になりますかね。メルボルンにはLentil As Anythingというベジタリアン料理を提供しているレストランが
皆さんはkombu-chaってご存知でしょうか? ウーフをやってた時にこのkombu-chaという飲み物に出会ったわけなんですが最初聞いた時は昆布をだしにした飲み物なのかな?ぐらいに思ってまして、「kombuって何?日本語だよね?」とホストから聞かれた時は「ああそれはね。sea(海)にあるkelp(昆布)なんですよ」とドヤ顔で答えたんですが、どうも訝った顔をされてしまったんですね。 ほんでもってそのKombu-chaなるものを実際に見てみると所謂海の昆布とは全く別物だったんですね。因みにこれがkombuchaの素(株というらしいですが)。 普段はセラミックの容器の中で保存されててこんな感じで置いてあります。手前に見える蛇口を捻るとkombu-chaが出てくるわけですね。 そしてkombu-chaについて調べみて(というか実際に目にした時点で火を見るより明らかですが)、やっぱり海の昆布とは全
ウーフやヘルペックスを通して旅をしていると所自分達のペースで生活をしている人達に出会う事があります。つい先日まで滞在していたセラミックアーティストのホストはオルタナライフを目指し、時間に捕らわれず、誰の指図も受けずに自分達らしい生き方を追求されていました。 朝は時間をかけてゆっくり朝食の準備をして、ぽかぽか陽光が降り注ぐ中veranda(日本での縁側にあたる部分)で朝食を摂り、たわいもない事をおしゃべりし、挽きたて淹れたてコーヒーをすすりながら、「さぁそろそろ働くか」と言う時点でもう11時を過ぎていた事もよくありました。 仕事自体は冬が近づいていた事もあって薪割りだとか、あと排水パイプ設置の為にtrench digging(溝掘り)のような肉体労働系を主にやりましたが全て自分のペースでやらせてもらいマイペースでいいから仕事をやり遂げる事を第一の目的に仕事をさせてもらいました。 仕事を終えて
2ヶ月以上前になりますが、 WA(西オーストラリア)州はNarroginという町からさらに車で40分程内陸に向かったところで、Helpx(ヘルペックス)を通して出会ったホスト宅に二週間程お世話になりました。 WAに来る前はメルボルンにいましたので、3000km以上離れたWAの州都パースまで飛行機で飛び、そこからさらにバスで二時間以上かけて上記のNarroginまでやってきたわけなんですが来て本当に良かったです。 ウーフやヘルペックスで、これまでいろいろ個性的な場所を訪れてきましたが、今回はいろいろ個人的に感化された場所になりました。 ウーフなんかでたくさんの場所を訪ねると、トイレはコンポスト式だったり生活用水は雨水を使用したり、野菜や果物は自分の敷地内で育てたりと生活インフラの自給率が高く、環境にも配慮した家庭はたくさんありました。 今回訪れた場所も上記に掲げた要素は全て満たしていたんです
前回記事に登場した壁のない小屋に住む人達。彼らと出会った場所はWA(ウエスタンオーストラリア)州はNarrogin(場所)という場所からさらに内陸に位置するところだったんですがとにかく雨が降らない地域でした。 この場所にたどり着いた時にまず驚いたのは前述の小屋住まいもさることながら、痩せた土壌と降水量の少なさにも関わらずしっかりと野菜を育て、ウォータパイプラインによる政府の水援助にも頼る事なく生活を成り立たせていた事です。 敷地内写真。基本的に土は赤みを帯びており乾燥の見た目度合いを助長している ホスト曰くこの地域の年間降水量は約350mm程度。大体一年の内7~8ヶ月程度は雨にお目にかかる事はないそうです。自分が滞在していた時は5月下旬とこちらでは雨季に入りかけていましたが、滞在2週間中雨を見た日は一日あっただけで、それも申し訳ない程度にポツポツ降った程度。 乾燥具合も激しくこういう場所に
1つ目、2つ目のエントリーの中で写真を何枚か載せてましてお察し頂けるかもしれませんがとにかく生活スタイルがシンプルです。 本当に必要最低限のものしかありませんでしたし、半径数キロ以上に渡って周囲に住んでる人は誰一人いませんでした(無人の家はありましたが)。 別にそれで困る事は個人的にありませんでしたし、逆に何もなさ過ぎるのが良かったとも言えます。 全部敷地内から見える景色です。 こういう風景を見ているだけでも十分に楽しめるのですが、自分が一番楽しみだったのは毎晩日没後に訪れる圧倒的なまでの暗闇と静寂の時間でした。実際は星空が空を埋め尽くしてますので全然暗闇ではないんですが、ここで意味するのは一切の人工物の明かりがない事を言います。 こっち(オーストラリア)の星空は半端なくて、 オーストラリア国内を旅した方には共感頂けるかと思いますが、ミルキーウェイ(星雲)なんか本当に文字通り白濁した牛乳が
この場所のホスト夫妻とは毎晩暖炉の火を見つめながら語り合いました。 前回記事で書きましたが周囲に雑音もなく、ゆらゆら動く炎を見ながら圧倒的に何もない大自然の中で語り合う時間というのは何よりも代えがたい一時でした。 ホストのご友人でHannah Rachel Bellさんというフェミニストとして活動されてる方も一緒の時期に滞在してたんですが、この方と一緒に過ごしたというのもこの場所での生活が充実したものの一つの大きな要因でした。 アボリジニと長く一緒に生活した話や、男女における考え方の違い、たまにあるジョークがいちいち面白くて話しているのが凄く楽しい方でした。でも子供っぽい一面もあってIpadのゲームアプリで高得点を叩きだしたらはしゃぐように喜んだり、「デザート欲しい人はいる?」っていう確認があれば「My hands up!」とか言って手を上げたり。 Hannahさんはmotor neuro
ウーフ(あるいはヘルペックス)を通して10軒以上もの場所を酔狂のように訪ねていると途中からウーフって名前だけで実際は宝探しに近いものだなと思うようになりました。 ウーフ(WWOOF)はWilling Worker On Organic FarmあるいはWorld-Wide Opportunities on Organic Farmの頭文字を取った略称らしいですが、実態はオーガニックじゃないとこもあるしそもそも農場じゃないところもあるしで名前に則してない場所もかなりあります。 オーストラリア国内におけるホストの数はざっと見積もっても2000軒以上はありそうで、今手元にウーフ本がないので分からないですが確か400ページ以上に渡ってホストの連絡先が載ってるはずなので、大体1ページあたり5〜6軒程度載ってるとすると単純計算で5〜6×400ページ=2000〜2400軒程。 2000軒以上も載ってるわ
オーストラリア滞在の2年目が終了しまして現在はニュージランドへ来ております。 2年も英語圏にいたら英語に関して思う事がありますので実際に生活してみて感じた英語に対する自分の意見をあれこれ。 まったく役に立たないTOEIC 最初1年間オーストラリアに滞在した後に日本に帰ってTOEICを受験しましたら880点と900近いスコアを取りまして拍子抜けするくらい簡単に取れた印象があります。 まずリスニングなんかは本場のプロ(ネイティブあるいは英語が上手な移民)の会話を旅してる間ずっと聞いてるわけですし、そのプロもお手上げのアイリッシュ(アイルランド人)の会話もBGMのように聞いてればTOEICのリスニング問題なんか小学生の宿題レベルに感じました。 ラウンドという旅をずっとしてた人(もしくは留学なりして本場の英語にずっと触れてきた人)にとってはtoeicのリスニング問題はボールが止まって見えるではない
Black Fellaという言葉をご存知でしょうか。 Black Fellaというのはオーストラリアに住むアボリジニ(原住民)を指す言葉だそうでしてその言葉の響きから差別用語かな?と思ってしまいました。 自分が差別用語かどうかを判断するまでの知識も見識もなく確信はないのですが、初めてその単語を使用しているのを耳にした時は少しどぎまぎしてしまいました。 こちらの記事で紹介したHanna Rachel Bellさんというフェミニストの方と共に生活していた時に彼女が親しみを込めてアボリジニの友人達を呼ぶ時に使用していましたので特に差別だとかそういう感情がないのだろうと察します。 Hannahさんは長年に渡ってアボリジニと共に生活をした経歴がありまして、それに関連した本も書いてらっしゃいます。滞在していた時に彼女の上梓した本を数冊お借りして読んでみたのですがアカデミックな英単語も多く当時(今も)の
飯が美味けりゃ幸せ部ログ WWOOFとHelpxというボランティア制度を使ってこれまでオーストラリア、NZの両国で20件以上もの場所を訪れてきました。自分たちの手で切り開いた山奥に住む人達、雨水を利用して野菜を育て自給自足を営む人達、地平線が見渡せる広大な荒野に身を置くような人達、太陽が昇るのと共に目覚め太陽が沈めばろうそくを明かりに過ごす人達、など特に印象的だった場所の体験記を記す一方で、現在NZでイギリス資本のITセールス会社に勤務する社員として見える日常や、現地ローカル企業における経験談、英語トホホ体験等を中心に記事を書いてます。 ヘルペックス(Helpx)というサイトがあります。 ウーフ(WWOOF)という制度と似たようなものですが、ホストと呼ばれる人が住む場所で一日数時間働く代わりに宿とご飯を提供してもらうというものです。ヘルペックスを利用するには最初に登録料を支払わないといけな
オーストラリアにいる時にメルボルン市内にて仕事を2つかけもちして2ヶ月間週7日で働いてた事があったのですが、仕事を始めた当初は週7日でやるつもりなんてなかったのですが、2つ目の仕事を人づてで得てからは結果的にほぼ2ヶ月間毎日働く事になりました。 2つの店では主に天ぷらを任されてたのですが、時給は一方(以下A店)は23ドル(税引き前)でもう一方(以下B店)は手取り18ドルでした。日本円だと為替の変動はありますがそれぞれ約2000円ぐらいなので一日平均して10時間働けば日当20000円。週7日働けば週あたり14万円。1ヶ月で約50万円ほど稼げる計算になります。 仕事の天ぷらですが、揚げるといっても日本の職人レベルと比較したらクソみたいな自分の技術で時給2000円近くももらえるのは一人当たりのGDPが高いオーストラリアならではだと思います。 世界の一人当たりの名目GDPランク(USドル) 自分は
つい先日までヘルペックス(Helpx)を利用してニュージーランド人のご家族と共に1週間程生活をしていましたが、ホストファミリーの人柄、ロケーション、個人的な満足度全てにおいて満足のゆくものでしたのでその様子をご紹介したいと思います。 オークランドの北約300km ホストとの待ち合わせ場所はニュージーランドの最大都市オークランドから北へ約300km程向かったタイパという小さな町でした。仮にオークランドが東京だとするなら北へ東北自動車道を利用して約300km進むと福島市あたり、西へ東名高速を利用して向かうなら愛知県の蒲郡市辺りが同等の距離間隔といえば分かりやすいでしょうか。 タイパはNZ北島のほぼ先端部分に位置。最大都市オークランドからバスで5時間。 人里離れた山奥へ (ホストファミリーが住む場所へ向かう道中の4WD内から撮影。荒れた道を突き進む) (家にたどり着くまでには一度小さな川を渡ると
飯が美味けりゃ幸せ部ログ WWOOFとHelpxというボランティア制度を使ってこれまでオーストラリア、NZの両国で20件以上もの場所を訪れてきました。自分たちの手で切り開いた山奥に住む人達、雨水を利用して野菜を育て自給自足を営む人達、地平線が見渡せる広大な荒野に身を置くような人達、太陽が昇るのと共に目覚め太陽が沈めばろうそくを明かりに過ごす人達、など特に印象的だった場所の体験記を記す一方で、現在NZでイギリス資本のITセールス会社に勤務する社員として見える日常や、現地ローカル企業における経験談、英語トホホ体験等を中心に記事を書いてます。 前回記事でご紹介したオフグリッド生活を営むニュージーランド人ご家族との共同生活。 ホストファザーのジェームスは出会ったその瞬間から会話に花を咲かせる事ができる社交性を持ちあわせている事もさる事ながら、これまで出会った外国人(自分がこっちでは外人ですが)の中
飯が美味けりゃ幸せ部ログ WWOOFとHelpxというボランティア制度を使ってこれまでオーストラリア、NZの両国で20件以上もの場所を訪れてきました。自分たちの手で切り開いた山奥に住む人達、雨水を利用して野菜を育て自給自足を営む人達、地平線が見渡せる広大な荒野に身を置くような人達、太陽が昇るのと共に目覚め太陽が沈めばろうそくを明かりに過ごす人達、など特に印象的だった場所の体験記を記す一方で、現在NZでイギリス資本のITセールス会社に勤務する社員として見える日常や、現地ローカル企業における経験談、英語トホホ体験等を中心に記事を書いてます。 先週からまたブログを再開してみたものの書くネタをどうしようかと再開2周目で早くも憂鬱な気分になってます。 思えば普段家と会社の往復で週の大半は消えていきますし、10ヶ月間もそういう生活をしてれば大体毎日同じ事の繰り返しで思考停止にもなりがちでネタなんかそう
英語学習毎日何かしらやってます。 やらないと今の会社でついていけないし、1ミリでも良いから早く英語力が上がって楽になりたいんですが、今の状態を例えるなら目的地が途方もなく遠すぎてゴールが見えない大海原の中をひたすらジタバタ泳いで、たまに大波にさらわれて死にそうになるんですけどそれでもなんとか溺れて死んでしまわないようにもがいて生き延びて、たまに流木なんかに寄りかかって安息の時を得ながら毎日ゴールに向かって英語という大海の中を泳いでる感じです。 そもそも今の仕事は日本語と日本社会へのリテラシーがあるから採用された(ある程度の英語力も見てるんでしょうけど)ようなものですが、自分はオーストラリアという海外に初めて行くほんの4年前まで英語でコミュニケーションなんかした事はなく、日本にいればその辺を歩いてるような海外未経験、英語の使い方なんか知らない童貞丸だしの典型的な日本人だったわけです。 一応童
1ヶ月程前にタイでIELTS(アカデミック)を受験して先日結果が返ってきました。 まず何故にタイで受験?と言いますと、去る4月の中旬にNZの移民局が発表した新しい移民政策の変更(永住権申請には必ず英語力を証明する移民局が設定した基準を満たさないと永住権が申請できなくなる)によってあっという間にNZ国内のIELTSの受験枠が埋まってしまい、出遅れた自分はというとちょうど会社の有給休暇を利用してタイに旅行行く予定にしてたので、たまたま受験枠が空いてた旅先のタイで受験をしてきました。 結果はというとOverall6.5を取得し、点数自体は初めて受けるには悪くはなく永住権申請に必要なポイントをゲットする事ができたのでひとまず安心しました。 ただ日常では相変わらず会社では上司のイギリス人が言ってる内容がスムースに聞き取れないですし、ミーティングでも途中で分からなくなって一人であたふたして全然余裕なん
毎週毎週1週間が終わろうとする日曜の夜にこれを書いてます。 もし今日本にいたら明日からまた満員電車に揺られて仕事に行く事や会社の人間関係を想像するだけで何もやる気なんか起きないでしょうが、自分は普段車で通勤してるし仕事は日本時間に合わせてるので昼からだから朝の通勤ラッシュになんか出会わないし、会社では英語こそ分からないから惨めな思いはすれど同質的なピア・プレッシャーで変に思い悩む事もなく人間関係におけるストレスなんかほとんどないしでとりあえずオフィスに来る事さえできればもう合格みたいな感じで、日曜の夜ではありますが特段気が滅入る事もなくブログで何書こうか多少悩むぐらいで済んでます。 だから日曜の夜だからと言って日本にいる人と比べれば別に憂鬱でもなんでもないのですが、そうは言いつつも会社で英語が分からない時はほんとに壊滅的に分からないのでこれに関してはずっと頭痛のタネです。 もうすぐ今の会社
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