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おみそ汁
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美少女コミックの代表格「プチアップル・パイ」。 最後には「少年キャプテン」等に吸収される形になりますが、「美少女コミック」の基礎を築いた意義は、大きかったのではないでしょうか。 このページでは休刊までのvol.10~18を紹介しています。 vol.1~9はこちら
以前このサイトで紹介した「大学生をおおうロリコン症候群」(『潮』1982年9月号)でも取り上げられていた、早稲田大学アニメーション同好会が発行した「別冊アニコム 少女愛好家のために」。 当時勃興しはじめたロリコンブームに乗って話題になるとともに非常に大きな売上を記録したとのことで、当時のサブカルチャーを語る上で伝説ともなっていましたが、先日、この「別冊アニコム 少女愛好家のために」を入手することができましたので、内容をご紹介します。 表紙はこちら。 この表紙については、いくつかの表紙紙の色違いがあるようです。 自分が入手したのは青い表紙でした。 裏表紙はこちら。 表紙・裏表紙ともにふくやまけいこ先生がイラストを担当しています(誌面では福山慶子名義)。 表紙をめくって最初に目に飛び込んでくるのが、目次とふくやまけいこ先生のイラストと、有名な檄文 「この本では14歳以下の女の子以外はいっさい「
あぽ こと かがみ・あきらさんが 亡くなったことについて。 読者の皆さんに悲しいお知らせをしなくて はならない。 あぽことかがみ・あきら先生(本名・鏡味 晃さん)が、8月9日、急逝された。慎しん で、お悔み申しあげるしか術はない。 今の時点ではっきりしている事実だけを読 者の皆様に報告したい。8月5日から6日に かけて、かがみ先生は体調をくずされた。友 人やアシスタントの人たちが連絡をとってい たが、その時点で入っていた仕事を急拠キャ ンセルして、高田馬場の自室で休養をとる… ということであった。翌7日にはアシスタン トのF君が先生にたのまれ、くだものを届け たが、一人で休みたい…とのことだったので 帰宅した。7日夕方から8日にかけて、各誌 の編集部に先生が体調をくずされている旨、 友人の方を通じて情報が入り、彼のマンショ ンをたずねているが応答がなく、9日午後、 関係者がドアのカギをこわ
美少女コミックの代表格「プチアップル・パイ」。 「ブリッコ」とは編集者・作者の多くが重複しているのですが、「ブリッコ」とは異なり「エロ抜き」 健全路線を歩みながら、全部で18冊と長寿シリーズとして人気を博します。 18冊全部を1ページで紹介するのは長すぎると思い、まずこのページでは前半のvol.9までをしょうかいします。 vol.10~18はこちら
1984年8月9日、かがみあきら先生が亡くなったときの衝撃がどの程度だったかは、15年以上たった今となっては、当時の文章から推測するしかありません。 ただ、確実に言えることは、いまでも、かがみあきら先生のファンはたくさんいますし、中にはリアルタイムでの活躍を知らないが、お亡くなりになった後、当時の雑誌や単行本を通じてファンになった人もいる、ということです。 そこで、著作権には十分に配慮しつつ、ここでは「かがみあきら先生の追悼文」に絞ってご紹介することにします。 もちろんこうした形での紹介に対して、異論をお持ちの方もいらっしゃると思います 。 ご意見、ご感想、ご叱責など、掲示板の方までお待ちしております。 「あぽ こと かがみあきらさんが亡くなったことについて。」1984年10月号掲載 「ねこまたぎ」(白倉由美・寄生虫) 1984年10月号掲載 1984年10月号 編集後記
まず、この「アオーク(AWAKE)について」の資料・および文章のほとんどは、「早坂未紀の世界」の管理人であるAZICON1さんの全面的な協力によって成り立っています。 心から感謝いたします。 スタジオ・アオークとは、あさりよしとお、森野うさぎ、くあTERO、豊島U作などの漫画家が集まって作ったサークルの名前です。主な活動内容は同人誌の出版ですが、自主制作のアニメーションや特撮も手掛けました。 1984年8月に行われた「第3回特撮大会」というイベントで上映するためにスタジオ・アオークが制作したアニメが、「アオーク・オープングアニメ」です。 その後、オリジナルアニメーション「オーマン」や特撮の「オバノン」など、精力的に自主制作フィルムを生み出しました。 また、1985年に白夜書房から発売されたアダルト・アニメ「魔法のルージュ・りっぷすてぃっく」のスタッフも、アオークメンバーとほぼ同じです。 こ
現在の日本で、岡崎京子さんほど、その「不在」が大きな意味を持っている作家はいないのではないでしょうか。 その大きな影響については、有名・無名を問わず多くの方が検証をされていますので、ここでは多くを語りません。ただ、「ブリッコ」の視点から岡崎京子という作家の業績を考えた場合、実質的なデビューを果たした雑誌であり、また、ここで発表された初期の作品のいくつかが単行本未収録のままと なっていることから、そうした作品をここで発表する価値はあるかな、と考えます。 ただし、初期の作品、特にここに紹介する「ひっばあじん倶楽部」に関しては、一種のイラストエッセイのような作品であり、絵と文章が(さらに言えば、彼女の手書き文字も含め)一体となって一つの作品になっているので、「あらすじ」を紹介することは、実質的に不可能です。 そこで、著作権には配慮しつつ、ここでは以下のような形で作品を紹介することにしました。 ・
HOME>「漫画ブリッコ」資料館 「漫画ブリッコ」資料館 ここでは、「漫画ブリッコ」の作者達を中心に、データーベース補足事項や、トピックス記事的なものを、不定期にアップしていきたいと思っています。 ただ、そこで問題となるのが、著作権の問題で、これをどのようにして克服しながら「ブリッコ」作品の魅力をお伝えできるか、試行錯誤していくつもりです。 ご意見、ご感想、ご叱責など、掲示板の方までお待ちしております。 岡崎京子の「ひっばあじん倶楽部」 あぽ(かがみあきら)の追悼文 岡崎京子の「爆烈女学校」 『おたく』の研究 雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム アオーク(AWAKE)について 白倉由美「学園少女/砂緒」 一般メディアの取り上げ方
編集・発行人:エンドウユイチによるミニコミ誌、「東京おとなクラブ」。 本誌全5号のほか、増刊号として戸川純特集号と丸尾末広特集号が存在します。 「漫画ブリッコ」リニューアル直後には、この「東京おとなクラブ」の出張版、「東京おとなクラブJr.」が連載されていました。 その「東京おとなクラブJr.」内の一コラムとして始まったのが、「おとなクラブ」本誌の方で「宝島少女」(雑誌「宝島」を愛読する少女に見られるスノッブさ)を揶揄したコラムを書いていた中森明夫による「おたくの研究」だったのです。 それ以外にも「よい子の歌謡曲」「幻の名盤解放同盟」など読み応えのあるコラムが満載で、’80年代サブカルチャーを象徴するような内容になっています。 ここでは「おとなクラブ」に掲載された主な記事をリストアップしていますが、ここに記載しきれなかったミニコラムも数多く掲載されています。その、1980年代的な雑多な雰囲
「漫画ブリッコ」は2人のフリー編集者、大塚英志氏と緒方源次郎(小形克宏)氏によって作られていました。 この2人の編集者は、漫画ブリッコ以外にも数多くのコミック誌の編集に携わっていました。 簡単にイメージ化してみました。 ここでは、この2人が関係していた、「漫画ブリッコ以外のコミック誌」を取り上げ、 その内容を紹介していきたいと思います。 現状、こちらが把握できているのは、以下の雑誌です。 いけないCOMIC アリスくらぶ プチアップル・パイ メディウム リュウ コミック・マルガリータ メルティ・レモン Comic Box Jr. 東京おとなクラブ その他
下記の文章は雑誌「潮」の1982年9月号に掲載されたルポライター・岩田薫氏による、当時の大学生を中心とした少女愛好の新しい流れ=「ロリコン」についてのルポです。 1982年夏というと、「レモン・ピープル」は創刊間もない頃、「漫画ブリッコ」はまだ刊行される前ですから、一般メディアとしてはかなり早くにこの事象を取り上げられたものと言えると思います。 内容的には当時から続く(今も残念ながら続いている)ステレオタイプな考察が中心となっており、いくつかの事実誤認もありますが、なんといっても蛭子神健氏、そして故・青山正明氏という「伝説的な」人物の若き日の活動が描かれている所が非常に興味深いです。 女子大生と対等につきあえない! 都の西北、早稲田の杜に、その名も「童貞同盟」という変なサークルが発足したのは、今年の四月のことである。同サークル、正式の名を「早稲田大学童貞同盟・性風俗浄化刷新特別委員会」とい
『おたくの研究』は結局すったもんだの末に1984年1月号で連載が終了してしまいます。しかしながらこの言葉はその後もその影響力を増大し続けていたようで、大塚氏は再度、「おたく」についての立場表明を行うことになります。 前回(1983年9月)より9ヶ月の間をおいた今回の文章では、「おたく」という語に対して強い反感を持っていることが明言されています。 ここでの着目点は、大塚氏が改めて「おたく差別」批判をせざるを得ないほど、差別用語としての「おたく」という単語が(中森氏の最初のコラムからわずか1年で)根付き始めていたということと、「おたく」差別批判と多少位相をずらしながら述べられている「おたく内部での階級化」が既に発生しているという事実です。 「新宿マイナークラブ」1983年9月号に戻る ■最近、マンガ家・編集者のおた く攻撃が泥沼化してきました。最 初は健全な批判だったのが、今で はマンガのネタ
『おたくの研究』に対しては、当然のことながら読者の怒り・反感の投書が殺到したようです。 編集としても静観し続けるわけにも行かず、1983年9月号の読者投稿欄「新宿マイナークラブ」で代表的な読者の反応を掲載するともに、大塚氏が見解を述べています。 注目すべきは、大塚氏も「おたく」の反社会的な部分は揶揄するに足るものとしている点、また大塚氏の意見を「編集部の公式見解ではない」としている点です。中森氏はその後の述懐で大塚氏から長文の叱責を受けたとしていますが、個人的には大塚氏の反論の文面からは(少なくとも表面的には)できるだけ冷静に反駁しようとしているように思われるのですが、いかがでしょうか。 なお、ここで取り上げられている読者投稿ですが、誤字についても本誌掲載時にそのまま掲載されており、当サイトでも原文を継承しています。また、投稿者の氏名については当方の判断で削除しております。 なお、中森氏の
※下記の文章について この文章は「漫画ブリッコ」内において発表された文を当時のまま掲載したもので、当サイトのポリシー・意図を反映したものではありません。 できれば先にこちらをお読みください。 また、この文章の著作権は、中森明夫氏にあります。 (*)は、誤字と思われる部分です。 やぁみんな、おたくってるぅ?『おたく』って言葉も、もう随分定 着しちゃって、そろそろカギカッコはずしちゃおうと思うんだよ。で、 これからはいちいち断らないけど、おたくっていったら2人称を表す 人称代名詞じゃなくて、普通名詞のことね。「おたくっぽい」とか 「おたくる」なんて形容詞や動詞になったりもするけどさ。まぁその へんはテキトーに使ってよ。おたくって言葉発明した当時は、誰もそ の意味知らないじゃん、で、それをいいことに随分遊んだもんだよ。 新宿三丁目にフリースペースっていうマンガ同人誌なんか置いてる本 屋さんがある
※下記の文章について この文章は「漫画ブリッコ」内において発表された文を当時のまま掲載したもので、当サイトのポリシー・意図を反映したものではありません。 できれば先にこちらをお読みください。 また、この文章の著作権は、中森明夫氏にあります。 さて前回は、この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニ ア少年達を『おたく』と名づけるってとこまで話したんだよね。『おた く』の由来については、まぁみんなもさっしがつくと思うけど、たとえ ば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくら さぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない。 そいでまぁきゃつらも男なんだから、思春期ともなればスケベ心のひ とつも出てくるだろう。けどあのスタイルでしょ、あの喋りでしょ、あ のセーカクでしょ、女なんか出来るわきゃないんだよね。それに『おた く』ってさぁ、もう決定的に男性的能力が欠除してんの
※下記の文章について この文章は「漫画ブリッコ」内において発表された文を当時のまま掲載したもので、当サイトのポリシー・意図を反映したものではありません。 できれば先にこちらをお読みください。 また、この文章の著作権は、中森明夫氏にあります。 コミケット(略してコミケ)って知ってる?いやぁ僕も昨年、二十三 才にして初めて行ったんだけど、驚いたねー。これはまぁ、つまりマ ンガマニアのためのお祭りみたいなもんで、早い話しマンガ同人誌や ファンジンの即売会なのね。それで何に驚いたっていうと、とにかく 東京中から一万人以上もの少年少女が集まってくるんだけど、その彼 らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもい るでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込も って、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モ ロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか
ここは、かつて大塚英志が編集長を務め、岡崎京子・白倉由美・藤原カムイ・桜沢エリカなど多くの作家を輩出し、80年代を駆け抜けた美少女コミック誌「漫画ブリッコ」についてのサイトです。 LAST UPDATE : 2008.6.22 Topics 「漫画ブリッコ」を知らない方へ 漫画ブリッコとは? 岡崎京子の単行本未収録作品 岡崎京子 「爆烈女学校」 自主制作アニメの黎明期 アオーク(AWAKE)について 「おたく」が生まれた時 中森明夫 「おたく」の研究 「幻の画集」の全貌 白倉由美「学園少女/砂緒」 当時の描き手たちの現在 「漫画ブリッコ」 Now & Then あなたにとっての「漫画ブリッコ」とは? 「漫画ブリッコ」 小アンケート お気軽にどうぞ! 「漫画ブリッコ」 掲示板 「漫画ブリッコ」に関係あったり、なかったり。 日記風雑文 これまでの変更点 更新履歴
※下記の文章について この文章は「漫画ブリッコ」内において発表された文を当時のまま掲載したもので、当サイトのポリシー・意図を反映したものではありません。 できれば先にこちらをお読みください。 また、この文章の著作権は、中森明夫氏にあります。 非生産的な中森明夫です(笑)。イエ~イ!元気でやってるかい。5 か月ぶりの登場だぜえ。『ブリッコ』じゃ3回ほど「おた○の研究」っ てのを連載して反響いちぢるしかったんだけど、どうやらおた○っての は差別用語に指定されちまったらしく使えなくなってしまったのだ。で まぁこーゆー場合、言い換えとゆう手段があったのです。ホラ、口が不 自由な人とか、目が不自由な人ってあるでしょ、そういう言い換えでい くと、お○くってのは、現実感覚の不自由な人、ファッションセンスに 不自由な人、友達の不自由な人、明るさに不自由な人…ダメだ、なんか ますます差別っぽくなっちまった。
「漫画ブリッコ」をネット検索すると、一番多くひっかかるのが、やはり「おたく」という単語の起源として取り上げられているものになります。 正直、「漫画ブリッコの世界」で、この部分を取り上げるのは気が引けていました。というのも、この単語は、その後あまりにも「成長しすぎてしまった」からです。 うかつに取り上げるのが正直、怖くもありました。 しかしながら、「漫画ブリッコ」のサイトをやっている以上、やはりこのことについて触れないのは、片手落ちのような気がします。 そこで、ここでは批判も予測しつつ、「『おたく』の研究」全文を載せることにしました。 「『おたく』の研究」は、ミニコミ誌「東京おとなクラブ」の「漫画ブリッコ」内での出張版「東京おとなクラブJr.」の1コーナーとして、中森明夫氏が連載をスタートさせました。 その内容は、当時人気だったアニメ「ヤマト」や「ガンダム」、「カリオストロの城」などに夢中に
今世田谷文学館で開催されている「岡崎京子展」、2月の1日に行ってきました。 http://www.setabun.or....
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