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数学
news.yahoo.co.jp/byline/nakanishimasao
投資トラブルが発覚し、活動を休止していたお笑いコンビ「TKO」の木本武宏さんが1月23日に記者会見を開きました。 木本さんとはテレビやイベントなどで幾度となくお仕事をさせてもらってきました。相方の木下隆行さんには松竹芸能を退所し、さまざまなバッシングが浴びせられている時期にYahoo!拙連載でお話をうかがいました。 敵だの味方だの、そんな浅薄な概念で評される領域では断じてありませんが、本当に良い形で復帰をされるならうまくいってほしい。純粋にそう思っています。 無理やり会見をほめちぎる気もなければ、要らぬケチをつける気もない。それがリアルな本心なのですが、取材のプロとしてニュートラルに見た時に、今回の会見には二つ、違和感を覚えるところがありました。 一つ目は途中で木下さんが出てきたことです。 あくまでも謝罪会見なので、それをしっかりとやる。そこまででとどめておく。木下さんが出てくると味がブレ
漫才作家として「オール阪神・巨人」らのネタを作り、講師としてNSC大阪校で長年教鞭もとる本多正識さん(64)。12月13日には著書「1秒で答えをつくる力」を上梓するなど笑いの最前線に身を置いて約40年が経ちますが、世の中の価値観が激変する中で感じる笑いの今と可能性とは。 凶器を出した瞬間、反則負け ここ数年、笑いを取り巻く環境は大きく変わったと思います。もちろん、時代によって変わるのが笑いなんですけど、今は変化の幅が大きい。それを痛感します。 少し前なら何の問題もなくOKというネタでも、今出すとダメとなる。いわゆる“チビ”“デブ”“ハゲ”と容姿をイジるものだったり、もしくは「オレ、昔、ワルやってたから」みたいな話だとか。そういうものに対しては、本当にダメな時代になりました。 もし言うなら、これでもかとツッコミの人がキレイに否定して完全に“滅菌消毒”して、最後に「ダメですよ」と言うくらいじゃ
今春からABCテレビ・テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」の司会を務めている藤井隆さん(50)。50年以上番組を盛り上げてきた桂文枝さんからバトンを受ける形となりましたが、これまで胸の内を明かすことなく大役と向き合ってきました。「正確にお伝えできればいいんですけど…」と丁寧に今の思いを言葉に置き換えていきました。 とにかく楽しい もっと気を遣ったり、疲れたりするものなのかなとも思っていたんですけど、とにかく楽しい。それが今の正直な思いです。 最初にお話をいただいた時は「どなたかがお断りになったのかな?」と思いました。そしてびっくりもしました。「まさか、僕ですか」と。新人のフレッシュ感もなければ、司会者としての安定感もないので「僕で大丈夫ですか?」と。 あとね、どう言ったらいいのか。これは本当にうまく伝わればなと思うんですけど、決して後ろ向きなことはなくて「あまりにも大きな番組だから」とい
今春、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に合格し仕事と大学院生としての日々を両立させている恵俊彰さん(57)。TBSテレビ「ひるおび!」のメインキャスターを務めるなど多忙な中で新たな一歩を踏み出しましたが「大学院での学びを仕事に還流させることは考えていない」と言葉に力を込めます。その真意、そして、人生を逆算した上で考える今のリアルとは。 違うつながり 大学院を意識したきっかけは「ひるおび!」に出ていただいている青山学院大学駅伝部の原晋監督だったんです。 一緒にご飯を食べたりする中で大学院の話を聞くようになって、自分も60歳を前に、何かやっておきたいなという思いもあり受験を決めたのが去年のことでした。 僕は高校しか出ていないもので大学院を受けるにあたっての審査を受けたり、書かなきゃいけない論文を準備したり、そういうことを半年ほどかけてやり、そこから面接と入試を経てこの春の入学になりました。
1992年にテレビ番組の企画をきっかけに絵を描き始め、今年画業30年を迎えるジミー大西さん(58)。来年まで全国9都市で開催予定の巡回展「POP OUT」も4月27日からスタートします。絵を描くことを後押ししてくれた明石家さんまさんの教えは、その後のジミーさんの人生をも貫くものとなりました。 「人を喜ばせてナンボ」 絵を描くようになって30年、あっという間やったなと思います。スペインとかマルタ島とか30年のうち3分の2は海外に行ってた感じでしたし、勉強したり、刺激を受けたり、挫折したり。ホンマに早かったなと。 今も全部で100仕事があったら、90は絵の仕事で芸人の仕事が10くらいです。絵を描いてたから、ここまで芸能生活をやってこられたと思います。そして、絵の世界に飛び込めたのは明石家さんまさんの言葉があったからやと思います。 「人を喜ばせてナンボやから。何をしてても、オレらの仕事は誰かが喜
2019年6月の“闇営業”騒動を境に人生が様変わりした宮迫博之さん(52)。吉本興業退所、YouTubeへの進出、「雨上がり決死隊」の解散、飲食業への挑戦などこの3年弱であらゆる経験をしました。環境の劇的な変化、現状への逡巡、そして元相方・蛍原徹さんへの思い。一言一言嚙みしめるように、これまで明かさなかった胸の内を語りました。 普通じゃない顔 これまでも、人生いろいろあった人間やと思ってきたんですけど、ここ何年かは本当にいろいろありました。 先月、焼肉のお店をオープンさせたので、今はそこに注力することが軸になってはいるんですけど、YouTubeも出力を下げずにやっています。止まるわけにはいかないので。 この一年ほどでも、いろいろありました。去年からは焼肉店のことも加わってきて、自分が感じている以上に自分に負荷をかけていたのかもしれませんね。周りから見たら普通じゃなかったんだろうなと思うこと
昨年6月で日本ラグビー協会理事、新リーグ審査委員長を退任した法学者の谷口真由美さん(46)。2月1日に著書「おっさんの掟 『大阪のおばちゃん』が見た日本ラグビー協会『失敗の本質』」を上梓しました。強い要請を受けて協会に入り、改革に邁進するも組織を出ることになった。その流れでの出版だけに「暴露本に見えるのは分かります。でもね…」と綴るに至った思いを吐露しました。 二つの理由 去年ラグビー協会から離れた私が、新しいラグビーのリーグも始まったところで本を出す。この流れを考えたら「暴露本ちゃうか!」と見られるのも分かります。そう思われる方の気持ちもよく分かりますし(笑)。 ただ、一つ言えるのは、恨みつらみとかそんなことを原動力に書けるような本ではない。私怨の果たし場(ば)みたいなモチベーションで取り組めるようなものでは全くありませんでした。 とはいえ、ラグビーファンの方の中にも「黙ってたらいいのに
日本テレビ「笑ってはいけない」シリーズで強烈なビンタを見せてきたプロレスラーの蝶野正洋さん(58)。数年前から腰痛に悩まされ、昨年からは杖なしの歩行が困難な状況にもなっていました。先月、脊柱管狭窄症の手術をし術後は車いすでの生活になっていましたが、リハビリで日に日に状況が改善され、自身のYouTubeチャンネルでもその流れをオープンにしています。強さを売りにするプロレスラーとしてトップを走っていた蝶野さんがありのままの姿を見せる理由とは。 睡眠時間2時間 腰が気になり始めたのは5年前くらいですかね。2017年にTOKYO MXの「バラいろダンディ」のMCをやり始めた頃からだと思います。 100メートルほど歩くと足がしびれてきて、立ち止まっちゃうんですよ。それでも何とかごまかしごまかしやってたんですけど、19年の春ごろからだんだん背中が曲がってきたんです。側弯症だということで治療を始めたんで
IT企業役員という顔も持つ厚切りジェイソンさん(35)。新著「ジェイソン流お金の増やし方」(ぴあ)が13万部のヒットとなり、お金を通じた人生観が注目されてもいますが、ジェイソンさんが語る「お金の力」とは。 節約とは 以前から僕が投資をしているということで、先輩芸人さんとかスタッフさんからお金の運用に関する相談を受けることは多かったんです。 より一層、それが増えたのが新型コロナ禍以降だと感じています。直接知っている人からの相談に加え、雑誌などでのお金に関する取材が連続で入るようになったんです。 これだけお話をいただくということは、もしかしたら多くの人が興味を持っているんじゃないか。そこを分かりやすく本にまとめたら一石二鳥というか一石万鳥というのか、皆さんの役に立てるんじゃないか。それが昨年11月にお金の本を出したきっかけでした。 お金に関しては3つの柱があると思っています。支出、収入、投資。
新型コロナ禍が報じられた当初から多数の番組に出演してきた白鴎大教授の岡田晴恵さん。この2年間、書きためた膨大な資料をまとめた告白手記「秘闘 私の『コロナ戦争』全記録」(新潮社)も12月22日に刊行しました。“コロナの女王”という異名がつくほど超多忙な出演スケジュールがもたらした言葉の刃。そして、その中で得た思いとは。 学者として言うべきこと 去年の1~5月頃は一日に4~5番組に出演するのが普通でした。スケジュールは全部自分で管理するので、朝出かける時にもう一度出演する番組を書き出して、重なりや漏れがないかを確認していました。 ほとんどが生放送ですからもちろん遅れるわけにはいかないですし、ましてや抜けていたりしたら大変なことです。なんとか、そういったトラブルは一つもないままにやってこられたんですけど、さすがにもうこれは限界だと。 テレビ局の方々からも「スケジュールの取りまとめだけでもやってく
2001年、ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞した浜口順子さん(36)。すぐさまフジテレビ「ココリコミラクルタイプ」などのレギュラー番組が決まり、華々しいデビューを飾ります。しかし、20歳を過ぎた頃から仕事が激減し「必要とされていない」という思いに直面しました。スタートダッシュと凋落を経験し、自らを「ホリプロの不良債権」と評するまでの葛藤。そして、20年の節目で向き合う今の自分とは。 青天の霹靂 私がスカウトキャラバンでグランプリを獲得したのが2001年9月16日。なので、今年9月で丸20年を迎えました。 20年経っても、グランプリに選ばれた瞬間のことは鮮明に覚えています。というのも、自分が選ばれるなんて絶対にないと思っていたからなんです。 私が受けた年のテーマが「美・笑・女(びしょうじょ)」。「笑」の文字が入っていることが示してもいるように、女優さんとか歌手ではなく、バ
2008年からフジテレビ「爆笑レッドシアター」などで注目され、自作の「ズクダンズンブングンゲーム」が小学生の間で大流行したお笑いコンビ「はんにゃ」の金田哲さん(35)。8月末から始めたTikTokが短期間で話題になるなど、ここに来て新たな展開を見せてもいます。若くしてブレークしたがゆえの苦悩と悔しさ。そして、仕事が減っていく中で向き合った自分。光と影が映し出す今の金田哲とは。 ここに来てのSNS 8月末ごろからSNSを始めたんです。それまでは一切やってませんでした。Twitter、Instagram、TikTok、YouTube。ここにきて始めました。 これまで、なぜやってこなかったのか。その答えがあるとすると「自分には必要のないもの」という思いからだと感じています。 08年、09年、年齢で言うと23歳あたり。その頃からたくさんテレビに出してもらえるようになりました。 当時はまだテレビ一択
大みそかに日本テレビ「笑ってはいけない」シリーズで強烈なビンタを見せてきたプロレス界の「黒のカリスマ」蝶野正洋さん(58)。今年は同番組の休止が発表されましたが、戦いを職業にしてきたからこそ感じていた「怖さ」。そして、胸に秘めてきた重圧を明かしました。 「ビンタはイヤ」 大みそかの「笑ってはいけない」シリーズ、最初からやらせてもらってますから、もう14~15年ですか。特に印象深かったのは最初の年のビンタでしたね。 オファーはもらったものの「ビンタはイヤだから他の形に変えてくれ」って言ったんですよ。 当時からビンタと言えば(アントニオ)猪木さんというイメージが強かったし、オレ自身、試合でもビンタはやらないし。なので、自分の中でビンタをすることへの戸惑いがすごくあったんです。 ただ、最初の年はスタッフさんも本当にバタバタだったし、オレが「ビンタを他の形に変えてほしい」と言おうと思っても、現場を
“グ~”で2008年には新語・流行語大賞を受賞したエド・はるみさん(57)。日本テレビ系「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーも務めるなど一躍時の人となりましたが、16年からは慶應義塾大学大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科に入り、ネガティブな気持ちをポジティブに転化させる研究を続けてきました。最近はモノ作りに注力し、今年の「第105回記念二科展」(13日まで、東京・国立新美術館)の絵画部門で入選も果たしました。研究、そして、モノ作りに軸足を置く起点となったのは「なぜ死ななければならないんだろう?」という、極限の苦しみからの目覚めでした。 明るくするものを 小さな頃は絵を習っていたんですけど、もう一回描きだしたのは17年からでした。ご縁があって彫刻と絵を月2回ほど習うようになりまして。 19年に初めて「二科展」に出して初出品初入選という結果となって驚いたんですが、今回もま
2011年から活動を始め、今年で10年の節目を迎える人気キャラクターのふなっしー。「ご当地キャラ総選挙2013」で優勝し、テレビ出演やCMなど多忙を極める時期を経て、活動を直撃することになった新型コロナ禍での苦悩。さらに、志村けんさんから受け継いだ魂とは。今の胸の内を吐露しました。 新型コロナ禍が直撃 今の活動としては、基本的にファンサイト向けの動画を撮るのがベースになってるなっしなー。あと、船橋と原宿、名古屋、大阪にお店も運営してるので、その会議をしたり。そんな中で月に1~2回くらいテレビに出る。それが今の平均的な動きになると思うなっしー。 新型コロナ禍になって、仕事への影響はすごくありましたなっしー。コロナ禍前の仕事量を100とすると、今は30くらいになっていると思いますなっしなー。 キャラクター業界全体が壊滅的な打撃を受けたと言っても過言じゃないなっし。そもそも、キャラクターというの
17日に骨髄異形成症候群で亡くなった落語家の笑福亭仁鶴さん。「B&B」としてMANZAIブームで頂点を極めた島田洋七さん(71)はデビュー当時、仁鶴さんの高座を日々舞台袖から見て「徹底的に勉強して、笑いのパターンを盗ませてもらった」と話します。洋七さんが語る仁鶴さんのすごいところと“発明”。そして、仁鶴さんからもらった2枚の色紙に書かれていた言葉とは。 今の嫁さんと駆け落ちして九州を出て大阪にたどり着いたのが21歳の時。今からちょうど50年前ですわ。 大阪に住んでいた野球部の先輩から「せっかく大阪に来たのなら、漫才、落語、新喜劇を見た方がいい」と言われて、当時のなんば花月に行ったんです。 それまで、僕はお笑いなんてほとんど見たことがなかったし知識もなかったんやけど、トリで(演者の名前が書かれた)“めくり”に笑福亭仁鶴という文字が出た瞬間に、聞いたことないような歓声があがったんですよ。ほんで
「雨上がり決死隊」が解散することが17日に発表され、ABEMAそしてYouTubeで特別番組「アメトーーク特別編 雨上がり決死隊解散報告会」が放送されました。 司会席には宮迫博之さん、蛍原徹さんが座り、ゲストとして東野幸治さん、出川哲朗さん、ケンドーコバヤシさん、狩野英孝さん、「FUJIWARA」が登場しました。 解散を切り出したのは蛍原さん。それは番組放送前の時点で、複数の関係者から確かな情報として聞いてはいました。では、蛍原さんがそう思うに至った理由は何だったのか。 番組内で蛍原さんは解散のきっかけとして、宮迫さんのYouTubeというワードを挙げました。 宮迫さんが自身のYouTubeチャンネルで最初の動画をアップしたのが2020年1月29日。宮迫さんと同じく“闇営業”問題で19年7月に会見を行った「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮さんの復帰イベントが行われる前日でした。 番組内で蛍
刺激的なプロレス実況で一時代を築き、テレビ朝日「報道ステーション」のキャスターを12年務めた古舘伊知郎さん(66)。昨年にはYouTubeチャンネル「古舘Ch」も立ち上げましたが、登録者数など数字が伸びない中、時代遅れという言葉を突き付けられていると言います。「もう、ヤキまわってんじゃねぇか」という迷い。唯一無二の古舘節を作ったからこその今の世の中とのズレ。苦悩に満ちた胸の内を、生々しく言葉に置き換えていきました。 「しゃべりが長すぎます」 YouTubeチャンネルをなぜ始めたのか。一つには、うまいことテレビからお呼びがかかってこない。それは自分の力の至らなさなんですけど、何かしら自分がしゃべる場が欲しいということで、周回遅れもいいところなんですけど始めました。 オレはね、しゃべる物量がないと耐えられない人間なんですよ。そういう変質者です(笑)。これはもうね、癖だと思います。 ただ、特に今
2011年に桂三枝(現・文枝)さんに入門し、世界のナベアツから落語家に転身した桂三度さん(51)。18年には入門からの悲願だったNHK新人落語大賞を受賞するなど着実にステップアップを遂げてきました。1991年にお笑いコンビ「ジャリズム」としてデビューし、芸歴は30年、落語家としては10年を過ぎましたが、あらゆる形で笑いに関わってきたからこそ感じる今の世の中へ怖さを吐露しました。 コロナ禍で「メチャクチャ」 三度になって10年が経ちました。最初は7年コンビでやりまして、解散後は放送作家だけを5年やって、その後またコンビを再結成しつつ世界のナベアツもやって、そこからまたコンビを解散しての落語家。いろいろやってきました(笑)。 ただね「ジャリズム」はもちろんコンビですし、放送作家もいろいろなスタッフさんとの作業ですし、世界のナベアツの時も「ジャリズム」を組みながらだったので落語家になって初めて“
フジテレビ「ノンストップ!」で2014年から通販コーナーを担当しているお笑いコンビ「ペナルティ」のヒデさん(50)。圧倒的な売り上げで、在京キー局テレビ通販売り上げ7年連続No.1の立役者にもなっていますが、その経験から学んだものを綴った「勝ち癖がつく 最強プレゼン術」も上梓しました。最初に通販番組のオファーが来た時には「オレ、もう“そっち”に行かないといけないの?」という感情が込み上げたと言いますが、その中で感じた葛藤、そして、今の思いとは。 「オレ、もう“そっち”に?」 通販のお仕事のお話をいただいた8年前、本当にリアルな話「え?オレ、もう“そっち”に行かないといけないの?」と思ったのが本音でした。都落ちじゃないですけど、そういう思いが出たのがその時点での正直な感情でした。 ただ、その時期に行ったロケで、たまたま移動のロケバスで前の席が寺門ジモンさんだったんです。ジモンさんも通販の番組
ピンクの衣装で手にはカメラ。お馴染みのスタイルで知られるのが林家ぺーさんとパー子さんです。携帯電話の普及で誰でも写真が撮れる総カメラマン時代になっていますが、写真を撮り続けてきた二人の目に映る世の中の変化とは。 カメラを持つきっかけペー:僕が初代林家三平の弟子になったのが、前回の東京オリンピックの年、1964年でした。 その前年の63年11月にアメリカのケネディ大統領が暗殺された。偶然、現場を撮っていた人がいて、その写真がすごい値段で売れたという話があったんです。それを聞いた師匠がそこからカメラを持ち歩くようになったんですよ(笑)。 当時のカメラはかなり高価なものでしたし、みんなが持っている物ではありませんでした。しかも、師匠が撮るとなると、皆さん「えっ、師匠が撮ってくれるんですか?ありがとうございます」とすごく喜んでくださるんです。 藤圭子ちゃんとか細川たかしさんとか、師匠の番組に出てく
芸人として生き、文筆家としても発信を続ける水道橋博士さん(58)。今年3月から配信ライブ「アサヤン~阿佐ヶ谷ヤング洋品店」を立ち上げ、毎回世間を驚かせるゲストを自らブッキングしています。「58歳と言うとオワコンと思われる年齢なんだろうけど、ギブアップせずに続けたい」と語る原動力は師匠・ビートたけしさんへの思いでした。 オワコンにならない 今年3月で30年ぶりに地上波のレギュラー番組がゼロになりまして(笑)。 だったら、バラエティ番組を自分で立ち上げてやるという気概で配信ライブ「アサヤンー」を始めたんです。 3月18日から、今決まっている8月18日までで計20回、やることになっています。週イチなので、かなりのペースではありますよね。ま、ムキになっちゃってるんですよ(笑)。 ライブはライブハウスで2時間半のショーとして収録して、配信、その後、YouTubeで一時間番組として流しているんですけど
“Wボケ”を確立し「M-1グランプリ2010」で優勝、上方漫才大賞も受賞するなど漫才界のど真ん中を歩む「笑い飯」。7月から全国ツアー「結成20+1周年記念ツアー 笑い飯の漫才天国」も開催し、さらなる高みを目指します。哲夫さん(46)、西田幸治さん(47)ともにひょうひょうとした空気でボケ続けますが、その根底には指針とする先輩の姿がありました。 必要な仕事ではないからこそ哲夫:本来、去年が20周年だったんです。なので、何かできたらなとは思っていたんですけど、新型コロナ禍でできなかった。 なので、なんとか1年遅れでツアーをやらせてもらうことになったんですけど、コロナで劇場出番も減りましたし、各地での営業は完全にストップしてますし、漫才を軸に活動をしていると、影響はすごくありますね。 西田:ただ、この状況だからこそ、改めて感じたことというのはありましたね。ネタの無観客配信とかも増えてきたんですけ
昨年、デビュー50周年を迎えた間寛平さん(71)。新型コロナ禍のため、昨年は開催できなかった50周年記念イベントを「間寛平 芸能生活50周年+1記念ツアー『いくつになってもあまえんぼう』」として全国10都市で行います。連帯保証人になっての借金地獄、ヨットとランだけで世界一周するアースマラソン、そして、前立腺がん。あらゆる形の負荷がかかり続けた芸人人生でもありましたが、常に寄り添っていたのが後輩であり、盟友の明石家さんまさんでした。寛平さんが語る明石家さんまという存在とは。 後ろ暗いことはない 吉本新喜劇の座長をしていた29歳の時に結婚して、32歳くらいからはどん底でしたね。とにかく借金。頼まれるがままに連帯保証人になって借金が大きくなっていって、借金取りに悩まされる日々でした。 ただね「もう、アカン…」というタイミングで、ウソみたいに誰かがギリギリ助けてくれるんです。 今日150万円返さな
今年は新型コロナ禍でエンターテインメントにも大きな影響が出ました。中でも、最も“生命線”を直撃したと言えるのが梅垣義明さん(61)でした。「ろくでなし」を歌いながら鼻から豆を飛ばす。観客を抱きしめる。これまでの“得意技”がことごとく封じられました。それでも、来年1月、2月に大阪と東京でライブ「梅ちゃんの新春シャンソンショー2021~客席が恋しくて、冬~」の開催を決めました。「全否定された」というコロナ禍での思い。そして、そこから生まれたものとは。胸の内を明かしました。 「こう来たか」を上回る 今年は本当に大きな年になりました。 一番分かりやすいのは「ろくでなし」を歌いながら鼻から豆を飛ばすネタ。あれは飛沫感染的に絶対NGなわけですよ。 あと「愛の讃歌」に乗せて客席に入って行ってお客さんを抱きしめるのもダメ。僕は客席に入ってお客さんと絡むネタが多いんですけど、まず今は客席に入っていけない。客
日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」など多くの番組でロケ企画を担当し、テレビ朝日「アメトーーク!」の「ロケリポーター芸人」の回でもインパクトを残したチャンカワイさん(40)。昨年206日をロケに費やし、新型コロナ禍の今年でも12月までに170日以上ロケで稼働するなどロケ芸人としての地位を確立しましたが、なぜそこまでオファーが殺到するのか。その根っこにあるものを語りました。 ネタも死ぬし、ラーメンも死ぬ 今でいうと、レギュラー・準レギュラーを合わせて8~9本番組に出してもらってるんですけど、ほぼ全てがロケです(笑)。 ただ、自分がロケ芸人という意識はそんなになかったんです。ただただ、いただくお仕事を日々一生懸命やるというだけで。 それを意識するきっかけになったのは、去年10月に放送された「アメトーーク!」(テレビ朝日)の「ロケリポーター芸人」に呼ばれた時でした。 それを機に、担当マネージャ
細川たかしさんの「北酒場」、ちあきなおみさんの「喝采」で日本レコード大賞を受賞した作曲家・作詞家の中村泰士さんが、12月20日に肝臓がんで旅立ちました。先月16日に病名を公表した直後に、関係者を通じて中村さんからのメッセージを受け取っていました。「中西君のYahoo!の連載で、今の話を聞いてもらえないだろうか」。12月4日、大阪市内のホテルで約1時間インタビューをしました。そこで明かしていた病気への思い。そして「これからやりたいこと」。意欲と馬力に満ちた言葉をここに記します。 “まさか”という坂 なんかね、演歌みたいな言い方やけど、“まさか”という坂を上ることになりました。 今まで病気知らずで好きなようにやってきたこと。お酒をたくさん飲んできたこと。そのツケも当然あるとは思うんですけど、10月に入った頃に「ちょっとおかしいな…」となったんです。 体がだるい。背中が痛い。お酒が美味しくない。
「マヂカルラブリー」の優勝で幕を閉じた「M-1グランプリ2020」。 毎年、勝者が生まれるということは、その裏には何千組もの“敗者”が生まれているということでもあります。 最終決戦まで辿り着いたものの、あと一歩届かなかった。決勝の舞台にも届かなかった。いろいろな敗れ方がありますが、それぞれに、それぞれの形の「M-1」が刻まれている。それをこれまでの取材の中でも、強く感じてきました。 07年、優勝した「サンドウィッチマン」に次ぐ準優勝という形になったのが「トータルテンボス」でした。 昨年12月、Yahoo!拙連載用にインタビューをした時の取材メモを振り返ってみます。 「トータルテンボス」の藤田憲右(左)と大村朋宏(筆者撮影) 藤田:今になってまた思いますけど、やっぱり「M-1」はデカいですよ。僕にとって、最初はきっかけに過ぎなかったんです。「あれに出たら売れる!」という。頑張るため目の前にぶ
12月20日に決勝戦が行われる「M-1グランプリ2020」。様々なコンビに影響を与えてきた大会ですが「ライセンス」の藤原一裕さん(43)と井本貴史さん(42)にとっては、苦い思い出がにじむ場だと言います。「M-1」が「好きじゃなかった」どん底での感情。そして、再生のキーマンとなった先輩の言葉。今の思いをストレートに語りました。 不満の塊 藤原:2006年、敗者復活から「M-1」の決勝に進みました。当時の出場資格でラストイヤーにあたる10年目で初めての決勝でした。 芸人人生を振り返った時に、一番しんどかったのが04年、05年でした。自信もあるし、エネルギーもある。自分たちが力を入れていたトークも、隔週でオールナイトイベントをしたり、とことん情熱を注いでいました。 井本:芸人って、なんというか、多種多様じゃないですか。言うなれば、陸上部みたいなもんで。その中にいろいろな競技がありますし。 お笑
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