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おみそ汁
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安和桟橋、本部港(塩川地区)から、辺野古埋立のための土砂搬送が続いている。沖縄ドローンプロジェクトが時々、土砂を運搬しているダンプトラックを上空から撮影しているが、不可解な点があるので指摘したい。 下は、本年6月15日、安和桟橋に入る土砂運搬のダンプトラックである(ゲート前では大勢の県民が抗議行動を続けている様子が分かる)。 上空から撮影した写真を拡大すると次のようになる。 上の写真でも明らかなように、土砂をほんの少ししか積んでいないダンプトラックが目立つのだ。 この日だけではない。他の日にも同じようなダンプトラックが多い。 (2018.12.20 撮影) (7月16日 撮影) (本部港(塩川地区)へのダンプにもほんのわずかの土砂しか積んでいない車両がある。4.25撮影) 今まで過積載は多く見られたが、このようにほんの少ししか土砂を積んでいないままのダンプトラックが行き来しているのは何故だ
沖縄防衛局は昨日、琉球セメントの私設桟橋から埋立土砂を搬出しようとしたが、公共用財産管理規則、赤土等流出防止条例違反の事実が次々と明かになり、デニー知事は作業中止を指示した。 この知事の指示を受け、さすがの防衛局も今日は作業を中止せざるを得なくなっている。ただ、防衛大臣はそれでも、昨日発表した12月14日の埋立開始に変更はないと言明した。(この問題の詳細は、昨日のブログに掲載した沖縄平和市民連絡会の知事への要請書を見てほしい。) (12月4日、知事の昨日の中止指示により積出し作業は止まった) 昨日の知事の記者会見では、敷地内に4200㎡もの土砂を積上げるにもかかわらず、赤土等流出防止条例の「事業行為届出」が出されていないということで作業中止が指示された。ただ、この土砂の堆積を行なったものが、防衛局なのか、琉球セメントなのかで問題は大きく異なる。県も昨日の時点では、どちらなのかは、未だ確認で
29日(土)、台風24号が沖縄を直撃した。那覇でも凄まじい暴風雨が続いている。瞬間最大風速は50mを超えたという。午後になって台風の目に入ったのか、風雨が収まった時、辺野古のKさんから連絡が入った。キャンプ・シュワブの工事用ゲート前のフェンスが台風で吹き飛ばされたというのだ。しばらくして、Oさんがその写真を送ってくれた。 高さ4mのフェンスが国道329号線の車道側に無惨に倒れてしまっている。まかり間違えば国道を走る車両に当り、大変な事故になっていただろう。まだこれからけーし風が吹き荒れるのだから、危険極まりない。ところが、防衛局も警備会社も現場に来ておらず、倒れたフェンスが散乱したままだという。 この高いフェンスは、沖縄防衛局が出した道路占用許可申請を沖縄総合事務局北部国道事務所が認めたものだ。フェンスが国道に大きく張り出して設置されたために、歩道部分は1mもなくなってしまった。道路構造令
この間、大浦湾に活断層があるのではないかということが大きな問題になっている。政府は、国会議員の質問主意書に対する答弁書でも、「既存の文献では活断層の存在は確認されない」と主張しているが、2014年から海上ボーリング調査や音波探査を繰り返しているのだからそのデータを公開するべきだという声が高まってきた。 こうした声に押されたのか、3月6日、私が公文書公開請求を行った「シュワブ(H25)地質調査(その2)」(ボーリング23箇所、音波探査14,000m)の報告書と添付資料がやっと開示された。その報告書では、辺野古近くの2本の断層を「活断層の疑い」と明記しており、最近の政府答弁と矛盾していると大きな問題となった(これらの内容については、3月7日等のブログでも説明した)。 上記の報告書は3月7日、赤嶺政賢衆議院議員の事務所にも提出された。さらに防衛省は、12日、同議員の事務所に「シュワブ(H26)地
今日(6日)は、昨年8月25日の高江の不当弾圧事件で起訴された山城博治さん、添田充啓さんの第6回公判を傍聴した。 今まで毎回の公判を傍聴してきたが、実は、今日の公判を傍聴するのは気が重かった。同じ8月25日の事件で起訴されたが事情があって分離公判を続けているYさんが、検察側証人として出廷するのだ。Yさんは、辺野古海上行動の船長として共に海に出ていた仲間だった。もし、今日の彼の証言が山城博治さん、添田充啓さんが有罪となる決め手になれば、もう取り返しがつかないこととなる。 正午過ぎから始まった事前集会では、三宅弁護士から次のような話があった。「Yさんは今日、検察側証人として引っ張りだされる。しかし、彼も権力の恫喝による犠牲者なのだ。敵を見誤らないでほしい。彼を、いつか再び、我々の仲間として迎え入れるようにしよう」 山城博治さんもマイクを握り、皆に訴えた。「共に闘った仲間が、今日、検察側証人にさ
9月13日(火)、基地の県内移設に反対する県民会議・高江住民の会・現地行動連絡会が、高江のヘリパッド工事に関連して「県外からの機動隊の援助要請の撤回を求める陳情」を沖縄県議会に提出した。県議会議長室で新里米吉さんに、直接、説明して手渡す。 先週には沖縄平和市民連絡会も同様の主旨の陳情を出している。議会に公安委員さん、県警本部長らを呼ぶので、総務企画委員会にかけられるという。県議会も、1日も早く他府県からの警察官らを撤退させるために頑張ってほしい。 陳情内容は次の5点。 ①県外からの機動隊の援助要請を撤回すること ②県内外の機動隊による県道封鎖をやめること ③警察車両による、米軍着陸帯建設作業員の搬送をやめること ④県外機動隊への県費負担の支出(燃料・高速代金等)をやめること ⑤県外機動隊に対して県警が支出した総額を公表すること その後、沖縄県土木建築部空港課への申入れを行った。9日から資機
11月18日(水)、私が乗っていた抗議船「勝丸」で、Iさんが海保の暴行を受けて意識不明となり嘔吐を繰り返したため、救急車で病院に搬送されるという大変な事件が発生した。19日の琉球新報や沖縄タイムスにも大きく報道されたが(末尾に添付)、同船者として事件の詳細を報告したい。 なお、以下の写真は全て私が撮影したものだが、海保が妨害し、ゆっくりと撮影できなかった。また、沖縄タイムスのWEB版には、私の撮影した事件の映像がアップされている。(沖縄タイムスWEB版 動画 ) ー (海保の暴行で意識を失って倒れているIさん。この後、嘔吐を続けた。) ************** 18日は、ゲート前に1000人以上が集まり、工事車両や作業員らの車の進入を完全に阻止した。海上行動のメンバーらもこのゲート前行動に参加した後、いつもより遅れて海上行動を開始した。私は、Iさんと「勝丸」を担当、他には「不屈」「平和
<翁長知事は、防衛局に対して、コンクリートブロックの投下の中止命令とすでに投下したCBの撤去だけではなく、「本申請外の行為」をしたとして、埋立工事区域についての岩礁破砕許可を取り消すこともできる。> 2月10日(火)の地元2紙は、防衛局が大浦湾に投下したコンクリートブロック(CB)がサンゴ礁を破壊している写真を大きく掲載した。ヘリ基地反対協のダイビングチームレインボーの潜水調査で判明した事実だ。我々が再三に渡って強調してきた県漁業調整規則にもとづく岩礁破砕許可申請の手続きもなしに強行されたCBの投下の違法性がますます明らかになったといえよう。県知事はただちに防衛局に対してCBの投下中止と、すでに投下されたCBの撤去(現状回復措置)を命じなければならない。 宮城康博さんが呼びかけた「アンカー設置作業をただちに中止させ、岩礁破砕の許可申請をするよう勧告を」という緊急要請は、わずか2日間で266
1月21日(水)、辺野古のことが気になったが、病院行と辺野古関連の文書開示で防衛局、沖縄総合事務局へ行かなければならないので今日は海上行動はお休みさせてもらった。 今朝の琉球新報に、昨日、抗議船に乗っていた女性カメラマンに海保の海猿が馬乗りになっている写真が掲載された。海保の海猿たちの暴力行為の貴重な決定的瞬間だ。この抗議船は「ラブ子」、私が船長をしていた船だった。 以下、昨日の海保の暴力行為についてまとめたい。 (琉球新報 2015.1.21) 昨日は、約30隻もの海保のゴムボートや救援艇が大浦湾に出ていた。海保のゴムボートが「ラブ子」に接舷し、海猿たちが無理やり乗り込んできたのは午後2時半頃だった。「ラブ子」と「勝丸」、そして10数艇のカヌーが、防衛局に抗議するため、臨時制限水域の外側の海上に集まって待機していたときに(防衛局が設置した黄色いブイよりも大浦湾の奥側だったので臨時制限水域
1月18日(日)、連日の厳しい海上行動でさすがのカヌー隊の若者たちにも疲労の色が強い。細心の注意が必要な海上行動は万全の体調で望まなければならないということで、今日(日曜日)は海上行動はお休みとなった。私も、疲労の極致にあったが、おかげでいい休息日となった。現地ではフロートの引き出しが続いているようだが仕方がない。 久しぶりにゆっくりと新聞を読み、資料を整理して過ごした。この15日から再開された防衛局の作業を連日、海から観察し、資料を検討したことをまとめてみたい。 1.「仮設桟橋」の造成は、実質的な埋立開始 何よりも事態は急を要している。17日(土)には、辺野古崎から対岸の長島までフロートが敷設されてしまった。汀間漁港から辺野古漁港に行くためにはここを通行していたのだが、今後は船の行き来はできなくなる。抗議のカヌーや船団の往来を阻止した上で、これからは、フロートをさらに広げ、海底ボーリング
このブログでも何回か書いてきたが、防衛局は、9月3日、辺野古埋立承認願書の設計概要の変更申請書を提出した。公有水面埋立法第13条は、当初の設計概要を変更した場合は知事に変更申請を行い、承認を得なければならない。知事は、埋立承認願書の場合と同じように、「環境保全に十分配慮されているか」を審査する。 今回、防衛局は4点の変更申請を行った。 1.美謝川の水路の切換えルートの変更 まず、問題となるのは美謝川の水路の切り替えルートの変更。美謝川は辺野古ダムからシュワブ基地内を通って大浦湾に流れこんでいるが、当初案はダムの北側から新たに水路を作り国道329号線を横切って基地内を通らずに大浦湾の奥へ流そういう計画だった。ところが、美謝川は法定外公共物管理条例で名護市の所管になっているが、このような計画は名護市長が許可しない。そこで、防衛局は名護市長の権限が及ばない基地の中で、水路を暗渠に切り替える計画に
8月16日(土)、今日も早朝から辺野古に向かった。午前7時半頃、汀間漁港から5隻の船を出す。今日は、名護市に大雨警報が出されているが、数日続いた風もやっと収まってきた。 昨日、海上保安庁は、カヌーやボートに乗った市民ら12名を一時拘束するという暴挙に出た。あまりに強引な規制に、1人が顔に裂傷を受けた。海保の言い分は「安全指導」だというが、あまりにひどい「過剰警備」だ。 (琉球新報 14.8.16) この海保による不当拘束の様子は、QABのニュースが参考になる。 http://www.qab.co.jp/news/2014081556997.html 今日もカヌー隊が、浮桟橋に近づいていく。しかし、今日は昨日のような暴力的な規制はない。カヌー隊の一人が負傷したり、強引な拘束に批判の声が沸き上がり、さすがに自粛しているようだ。 浮桟橋の海岸では、海底ボーリング調査のための小型のスパッド台船の組
8月14日(木)、今日は海上ブイの設置が予想されるので、いつもより早くまだ暗いうちに辺野古に向かった。 国道から二見のトンネルを抜け、大浦湾を見て驚いた。ぎっしりと海上保安庁や防衛局の船が並んでいる。先の大戦で米軍が沖縄本島上陸の前、読谷の沖合を無数の米戦艦が埋め尽くした写真をよく見るが、今朝の大浦湾もまるで戦場のようだ。 汀間漁港から4隻の船で抗議に出ようとしたが、海上保安庁の職員らがやってきて船検証の提示等を求めた。10年前にもあったが、抗議船の出港を少しでも遅らせようとする妨害行為だろう。予定より少し遅れて大浦湾に出た。同時に瀬嵩の浜からカヌー隊が出発。1隻がカヌーを曳航して浮桟橋に向かう。今朝は風が強く、波も高い。水しぶきで全身びしょ濡れとなる。 すぐに海上保安庁の何隻ものゴムボートが進路を妨害するために集まってきた。 カヌーや抗議船の進路を妨害する海上保安庁のゴムボート。上空には
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(米軍が高江に作った「ベトナム村」。高江の住民らが徴用され、対ゲリラ戦訓練が実施された。(沖縄県公文書館所蔵写真)) 7月13日のブログで、1964年に北部演習場に「ベトナム」村が作られ、高江の住民ら約20人が徴用され、対ゲリラ戦訓練が実施されたという琉球朝日放送の特集について触れた。 そこでも、当時の沖縄人民党中央機関紙「人民」がこの事実を報道しているということだったので、県立図書館に行って入手してきた。以下、その内容を紹介する。(ここにある「新川」は「高江」の中の一集落) 米軍「対ゲリラ戦」訓練で県民を徴用---新川区民を狩り出す(「人民」1964.9.9) ---激化する演習で荒らされる山村 敗北につぐ敗北をかさね、もはや南ベトナムから追い出されるのは時間の問題となっているアメリカ帝国主義は、その侵略拠点となっている沖縄で必死になって戦争拡大の演習を強化しているが、日本国民である県民
(問題の警告文) 私たちは、オスプレイ配備を阻止するため、普天間基地の全ゲートを封鎖しました。9月30日に野蒿ゲートの封鎖が解除されたのですが、翌10月1日になって、米軍がゲート前に高いコンクリート壁を置き、そこに「警告」という看板を3つ張りつけています。 そこでは、「制限区域につき関係者以外立ち入り禁止」として、「1950年国内保安条例 1976年改訂 合衆国法797号 21条、50条」と書かれています。当時は、何故、アメリカの法律が書かれているのかな、おかしいなとは思ったのですが、それ以上のことが分からず、そのままになっていました。それでも、刑特法以外に、アメリカの法律でも罰せられるのかと思うと、やはり、少々大変だなと思わざるを得ませんでした。 (10月1日に登場したコンクリート壁に貼られた「警告文」) ところが、昨日、京都のMさんから、ある情報を教えていただき、すぐに、図書館に行くな
(市教委の会議が開かれた部屋) (京都新聞 2011.7.22) 今日(21日)午前、来年度の中学校教科書採択決定の京都市教育委員会の会議が開かれた。 朝、行ってみると、傍聴者の定員12名のところに30名もが傍聴申込みに集まっている。市教委の担当者が来て抽選だというので、「以前から何回も申入れているのに、何故、広い部屋を用意しないのか。希望者が皆、入れるよう検討せよ。」と要請したが、他の傍聴希望者からは何の声も出ない。 いよいよ抽選が始まる。2.5倍もの倍率だから、もうダメだろうと思っていたら、なんと「当選」。無事、中に入れた。 事務局からの長い経過説明と、教育委員らのタラタラとした会議が続く。委員長が、「基本的にはどの社も検定を通っているのだから一定の水準はある。」と言ったり、ある委員は、「市議会の要望もいただいていることを参考にしながら検討したい。」(これは「つくる会」の請願
(QABのテレビ画面より) 7月12日(火)、1週間ぶりに高江に行った。7月に入ってかなりになるのに、まだ、工事は再開されていない。それでも、まもなく再開されるという情報が入ったとかで、現地は緊迫していた。いよいよ、あの熾烈な攻防戦が始まる。 夕刻、家に帰り、録画していた琉球朝日放送「検証・動かぬ基地 高江にあったベトナム村とは」を見て驚いた。 今から48年前の1964年、東村高江の近くに「ベトナム村」と呼ばれるアメリカ軍のゲリラ訓練施設が作られた。そこにはベトナム風の家が再現され、家畜も飼われていて、訓練の時には6歳の幼児を連れた女性を含む20名の高江の住民たちがベトナム人役で徴用されていたという。周辺には、落とし穴や罠も多数しかけられていた。米兵たちは、高江の住民を本当のゲリラとみなして、これを対象に対ゲリラ戦訓練をしていたのだ。(詳細は、下記ニュース映像参照) 「検証動かぬ基地vol
(名護市役所(12月27日撮影)) 私は、12月27日、名護市役所に行き、「ふるさと納税」申込の手続きをした。門川が市長をつとめる京都市に、毎年、市民税を払っているが、その一部を新基地建設に反対する名護市に納税する方法があることを知ったのだ。 このブログを読んでいただいている皆さんも、ぜひ、名護市への「ふるさと納税」をしていただくよう訴えたい。 ******************************* ●「ふるさと納税」で住民税の1割を名護市にまわそう! 辺野古新基地建設に反対をつらぬく名護市稲嶺市政に対して、前市長時代に決定した米軍再編交付金の停止など、政府の露骨な嫌がらせが始まっている。 そんな中で、私たち「ヤマト」の人間に何ができるだろうかと考えている人も多いだろう。 その一つの方法として、「ふるさと納税制度」を使って、稲嶺市政を具体的に支援することを訴えたい。「ふるさと納税」
今日、鳩山首相が沖縄にやってきました。 県庁、普天間、キャンプ・シュワブ、名護と、4ケ所の抗議行動を続け、先ほど帰ってきたところです。怒りのシュプレヒコールに、もう喉がかれて声も出ません。 沖縄の人々は、あるいは鳩山首相が、なんらかの「腹案」を示すのではないかと、つい今朝まで一縷の期待を持っていました。しかし、そんな最後の期待も、木っ端微塵に吹っ飛んだ日でした。あれだけ、「最低でも県外」と言っていたのに、今になって、「日米同盟、海兵隊の抑止力の重要性が分かった。沖縄の人々に負担をお願いせざるを得ない。」とは、なんというひどい言い草でしょうか? 宰相としては失格だと自ら認めたようなものです。 以下、今日は疲れているので文章は書けませんが、とりあえず今日の写真だけをアップします。 <沖縄県庁> (朝9時、県庁前広場には、600名ほどの人が集まった。) (県議団からも力強いメッセージ) (辺野古
(トリイ基地前で、村会議員知花昌一さんの抗議のハンストが始まった。) 本年、11月7日早朝、沖縄読谷村でウォーキング中の外間さん(66歳)が、米軍トリイ基地所属の2等軍曹(27歳)によってひき逃げされ、10時間後に遺体で発見された。 犯人は証拠隠滅のため、外間さんの血痕や髪の毛がついた加害車両を修理工場に持ち込んだことで特定された。しかも、犯人は被害者の救出どころか草むらに運び隠した疑いがあり、酒気運転だった可能性も否定できないという。悪質極まりない凶悪犯罪というほかない。 犯人は特定されたが日米安保条約による地位協定により逮捕ができなく、任地の取調べも拒否されたままという。 このような屈辱的事態に対して、今も、日本政府は犯人の身柄引き渡しさえ要求していない。12月13日には、村民総決起集会が1500人の参加で開催されたが、今も犯人の引渡しがされないため、村会議員の知花昌一さんが、今日から
(子どもたちがみんな元気だったので一安心。右端が校長先生) 「在特会」の攻撃を受けた京都朝鮮第一初級学校を激励しようと、午後、Aさん、Kさんと3人で、学校を訪問してきました。 ちょうど学校では、年末行事の餅つきの真っ最中で、校長先生を初め、先生方、大勢の子どもたち、そして保護者の方々に暖かく迎えていただきました。 校長先生に花束を渡した後、皆で、一緒に、つきたてのお餅や豚汁、キムチまでご馳走になって、恐縮しました。 校長先生から経過などを説明していただいた後、お母さんたちを交えて話し合いました。お母さんの中には、「ありがとう。本当にうれしいです。」と、涙を流す方もおられ、当日はどんなに悔しかったのだろうかと思うと、こちらまで胸がつまりました。 (校長先生や、お母さんたちから、当日の様子や、学校がかかえる問題などを聞く) 今日も、前の児童公園では、大勢の子どもたちが遊んでいましたが、この公園
3月27日~29日、大江岩波沖縄戦裁判支援連絡会の、「強制集団死・慶良間列島検証の旅」に現地参加させていただいた。 当時、慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島には、海上特攻の秘密基地が築かれていた。1945年3月26日、27日に米軍が上陸。島の人々、約600名が「集団自決」に追い込まれた。また、日本軍による住民虐殺もおきた。 渡嘉敷では、集団自決の現場から奇跡的に助かった吉川嘉勝さん(現教育委員長)に案内していただいた。 渡嘉敷島・北山(にしやま)の「集団自決跡地」の碑。1945年3月28日、この付近で住民315人が「集団自決」に追い込まれた。 吉川嘉勝さん。当時6歳。家族皆で「自決」を図ったが、手榴弾が不発。その後、お母さんの「生きよう!」の一言でその場を離れたが、目の前でお父さんが砲弾で倒れた。 長く校長先生を勤められ、今は渡嘉敷村教育委員会委員長。90年代の末から、子どもたちを中心
11月30日(日)は、今年で5年目になる証言集会。 台湾から来られたアマー(お婆さん)は、もう92歳ですが、血色もよく、本当に元気な方でした。 貧しい家に生まれたため、9歳で養女に出され、その後、盛り場に売られて接客の仕事をさせられたそうです。海外でいい仕事があると言われ、何も分からないまま中国の広州に連れていかれて、「慰安婦」にさせられました。多いときで、1日に30人の相手をさせられたとのことでした。 こんな悲惨で大変な経験をされてきたのに、穏やかな笑顔で、本当に気配りのきく優しい方です。 「長く生きてきたけれど、こうして京都の皆さんに親切にしてもらって、今が一番幸せです。」と話されたときには、さすがに涙がでました。
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