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おみそ汁
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春期のアニメが始まり、斬新な演出で話題となっているのは「ラブライブ!」や「ピンポン」だろうが、ここであえて「ごちうさ」の演出の面白さを指摘したい。 その面白さは一言で言って、自然なことにある。 形骸化への対抗 1話アバンの時点から、他のアニメとの違いは現れている。 例えば、「ごちうさ」の主な難民受け入れ元である「のんのんびより」初回のアバンでは、美しい自然と、たどたどしい柔らかなリコーダーの音色に、「のんのんびより」の遅緩性が端的に見られた。 「ごちうさ」はどうだろうか。異国風だが絶えず盛り上がりを見せるBGMに加えて、街の人の声や足音が認められる。画像左はそんな中、音楽の一段落と共に主人公ココアが初登場するシーンのものだ。 このショットにおいて、特別な演出は見られない。意外なことに、「新しい街」「新しいキャラクター」を見せる1番重要なタイミングなのに、視覚的な演出を施さなかった。 俺はこ
1期で散々言われた話の再確認。 京極監督は流れを大切にしている。 時間的・空間的圧縮も、ただの尺的な節約だけではない。話のテンポ・流れを連続させるためのものだ。 今回の目立った流れの演出を見てみると、 廊下に貼ってあるラブライブのポスターを見つめる穂乃果。にこが画面奥から走ってくるが、 次のカットで、壁との位置関係から見て分かるように、にこの位置が変わっている。 ろくさんさんの1期の記事(ラブライブ!の京極尚彦監督コンテ演出について考える - WebLab.ota)で「空間が歪んでいる例」としてある、 これと同じ演出。「空間が歪む」という表現は全くその通りだと思う。 にこが瞬間移動したのではなく、都合のいいように、空間が歪んだということ。 冒頭、穂乃果がマイクを投げるところも凄いカメラワークをしていた。ラストでは、なんと天気まで変えてしまった。 ラブライブの世界は、京極監督の大いなる意志に
問題となっているのは、 足のアップ。 たった一枚で、どこか不安定な寂しさを上手く表している。美月のところに集まっていた後輩たちが、後から来た理奈の方へ走っていった時のものである。 後輩の美月への好意も本当なのだろうが、他の先輩に寄せられるものと同等のものに過ぎない。そんな寂しさが、風に揺れるスカートと不安定な画面の傾きから想像される。 けいおんやあいうら放送時にもよく話題に上っていたが、足のアップでは、その向きや位置関係によって少ない時間で多くを、自然に語ることが出来る。 実際、作品を見ていなくとも、桜の演出と相まって、上の3枚がそれぞれどんな状況の時のものか見当が付くだろう。 アップと引きを繋げる演出では、テンポが良くなる反面それぞれのカットの意味が薄くなりがちだが、桜Trickでは十分意味づけがなされている。 ところで、桜Trickがテンポを重視していることは監督のインタビューからも分
綺麗な画を作るなぁ。 ピンドラといい戦コレといい、良い系列っすなぁ。 制限的なロングショットが映えていれば、 アップを織り交ぜた躍動感のあるカット割りも気持ちいい。 5話の時はあまりに脚本に目が行き過ぎて画面に注目出来てなかったけど、それでも、タイミングのずらし方や終盤の畳み掛ける感じは心に残ってる。 5話と同じく、変な視点から物を見るのもアクセント効いてていいですね。これもまあ「制限的なロングショット」だよね。 ロングショットと同ポとちょこまか動く秀吉とで、綺麗で可愛くて楽しい。健康的なアニメ。 ところで、作画@wikiの柴田さんの項に「柴田という若手アニメーターには注目しろ。あいつは俺の演出論の継承者だ。(松尾衡)」ってあるけど、どうなんだろう。 松尾監督の作品は「RED GARDEN」と「紅」(なお後者は目下視聴中)しか知らないからか、それとも目が悪いのか、イマイチ共通点が分からん。
中々考えどころが多かった。 リサラと良介2人で居るところに、 (エスカレーターから手を振るカットの後、)キュール眼鏡コンビが入ってくるのを横から撮る。 次の会話劇では、 4人並びで全員を映すが、 リサラとキュールだけの話になると縦横の位置関係を変える。 どちらもキャラクターの位置と展開が連動したカット割り。 ただの会話劇にも、こういうちょっとしたアクセントがあると見易い。 握手会に来たシーン、浮かないリサラを見せたい場面では、 まずは下を見ているリサラのショット。 ここでリサラ・画面の暗さと高低差を見せた後、 「カメラ」の位置だけ変え、「カメラ」に対してうつむくリサラ。 さっきのショットから顔の向きも表情も変わってないのに、リサラの心情をこの2カットでしっかり印象付けることが出来た。二段構え。 3話の演出家はイツローだけど、こんなんだったっけ。 最近念頭に置いて見てるというのもあるけど、形
さんかれあ最終話、正直、こういう終わり方は大好き。 結局、壮大なメタ作品だったね。 12話全部を使って、千紘のゾンビ映画への理想が実現された、ゾンビ映画っぽい物語。 そのための、この清々しいほどもやもやした終わり方。 特に、そのラストへと誘う、 微妙な位置取り・カット割りが素晴らしい。 なんかこれ思い出した。 「幸福と不幸を分け合う」なんて、正にピングドラムそのものだった。さんかれあもピンドラも、幸せの物語。 千紘の過保護さはれあパパの過保護さと、後者が歪んでいるというだけで他は同質のものに見えるし、 wikipediaによると、「『ゾンビの毒素を致死量の何十倍も受けてきたせいで眼や脳の一部にダメージがある』」という千紘の祖父とも、ゾンビの恋人への執着という点では似ている。 みんな、歪な幸せの形として、グルグル廻ってる。 最終話と関連付けると、EDも面白くなる。 「目覚めたらそばにいるよ
OPしか見てないけど、OP見ただけの感想を純粋に残したいということで書いておく。 黒板 黒板演出がもう大好きでたまらん。 この黒板で、名前の紹介、キャラの性格の紹介、立ち位置の紹介、を一発で出来る。この時点でかなり良質。 それぞれのキャラが、誰に対してかは知らんが、そのキャラらしく笑ってみたりそっぽを向いてみたり。 ココロコネクトはどうやら人が入れ替わる話らしいし、そういうキャラ付けをいかに早く、いかに多く出来るかというのはキーポイントだろう。 それに、そもそも「黒板演出」自体が好き。 B型H系の黒板演出見た時も、たまらんと思ったクチ。山田に悪魔っぽい羽やらが生えるのとか大好き。 黒板はキャラクターの通れない「平面」の空間で、それがキャラクターの居る空間と関連付けられてるのにグッと来るんだと思う。 最近のものということで、キルミーベイベーなんかを思い出す。 背景を平面としてあえて意識させる
園田雅裕さんがコンテ切ってるGA4期の21話Aパート、「ハーイ!ちりめんじゃっく」を観て驚いたという話。 特徴として捉えられるのは、 縦の線でキャラクターを区切ったり、並列の登場人物を並列的に配置したり、時々画面を2面・3面で構成したり(例えば右の画像では、手前からランファたち・ミルフィーユたち・乗客の3面)…と沢山挙げられるところではあるが、1番面白いのは間を取らないカット割り。 ボケやツッコミのタイミングを早めることで、一息つく暇のないアニメになっている。これはもう本編を観るしかない。 話の切れ目のつなぎ方も独特。 んで、園田雅裕さんがコンテを切ったゼロ魔4期の5話も観てみた。そしたらこれも凄い。 やっぱり面白いのは独特な演出で、 シエスタが才人のために作ったお弁当をドラゴンの娘に食べられちゃった所は、GAでの、言うなれば「カットとカットの合間でギャグをやる」ものが、逆に「1つのカット
最終話のメモ。 やっぱりキルミーベイベーは「アニメ」の利点をしっかり利用してるなって印象。 やすなが鍵持ってソーニャを煽ってる所で ソーニャのキックが炸裂。 顔が画面一面に広がっていて、煽りのダンスも途中という所で蹴りが入るのは、ある意味反則技的で、視聴者もやすなと同じような驚きを得られる。作画も良い。 まあよくあるやり口だけど、復習復習。 背景がソーニャの進行方向と逆に流れ、やすなの力の流れが見える。 ソーニャが右方向に進んでいく速度もかなり遅くて、見ているこっちも引き止められてる気分。 こういう、視聴者が「もどかしさ」だとかを感じるような演出は結構難しいと思う。 まるで教室の隣に売店があるかのような演出。 これもよくある演出でどうだってことはないけど、それでも凄いのは、この演出に全く違和感を感じない俺たち。 全体としては、面白かったんだけど山川さんの色が強すぎて、週1で観るのがちょうど
大脊戸聡さんの演出が凄く面白かったというメモ。 SMの人絡みの場面では画面の情報量が多くて、 見た目的にも目まぐるしい雰囲気を出している。 左の画像のショットは縦に通る線(柱と階段と)の使い方がいい。 情報量が多いのが意図的なのは言わずもがな。 全体を通して、「映像的なギャグ」「アニメ的なギャグ」が多い人だと思う。口では説明しようがない。 同じ大脊戸さんが演出したイカ娘2期5話の七夕の、 これなんかまさに映像的なギャグ。原作でもこうなのかもしれないけどね。 まあなんにせよ、 ここのカット割り、色遣いは素晴らしい。ギャグとシリアスの共存。 ずっとギャグだったのをいきなりシリアスに変えたり、シリアスをギャグに変えたり出来るその強引さは、まさにその両者が混在するいぬぼくにピッタリ。適材適所。 イカちゃんがラジコンカー壊す話でも同じような力を見せてくれていた。 こんなに「人」で絶賛しておいて、実は
大沼監督のコンテは色々混ぜ込んでるイメージ。 春亮がフィアを説得しようとする場面で位置がコロコロ変わるのが面白い。 こういう横から撮って見せるだけでなく、 春亮目線で後ろを向くフィアを映して 振り返らせる。 画面と画面の繋がりみたいなものは無視して、画面で強い印象を与えるように魅せる。 面と向かってフィアの言葉を受ける春亮と同じように、視聴者にも真正面から浴びせる。 全体を通して暗い雰囲気で、もちろんそれに合わせて徹底的に画面が暗く、また血を想起させるダークな赤色と黒でほとんどの画面が構成されていた。 キャラクターの微妙な心情変化を、細かい色遣いや処理(淡くしてみたり明るくしてみたり)で魅せてきてくれたシルバーリンクらしい「赤色」の使い方で、俺は好き。 どうしても暗すぎて単調に見えてしまう部分はあると思うが。 でも2話から続くその暗さに 明るい光が降り注ぐと、お約束だけど綺麗で良いなと思っ
なんだかんだ言って1番楽しみなのはこのアニメだったりする。 カット、というかコンテにも色々パターンがあると思うけど、警察の家宅捜索の所で、 リンゴがちょっとズレてるのなんか面白い。 警察の粗探しや事件そのもののせいでリンゴ、家族がずれ始めている。 脚本に左右される部分も大きい、いわば脚本を強調するためのコンテ。 逆に、「匂わせるコンテ」みたいなものもピンドラには多い。 今まで少女を追っていた眞悧が視聴者の方を向いて話を始めた(といっても視聴者側を少女が移動しているんだけども)と思ったら、 視聴者から見て左に向かって「悪い話じゃないだろう?」と話しかけ、その問に答えるように帽子が映される。 その場は無言だが、その方向を向いたまま眞悧は話を続け、話された「君」というセリフは帽子に向かっての発言のようにも思われる。 この場面では後ろの光が動いているが、眞悧のカットでは向かって左、帽子の時は右に移
夏アニメの最終回前に始まっちまったイカちゃんについて思うがままに 1期からそういう感じはあるけど、イカ娘って地味に作画良い 2期OPでいうと ウォータースライダーのあたりとか見るからに良い 1話内だとAパート序盤の戦争もカッコイイけど、それ以上に気になるのは ここの部分の触手やビニール袋の無駄な凝り具合 エビチャーハン(ピラフだっけ?)を食べてる所も大袈裟に動いてて可愛らしい ロボアニメやナルト等の戦闘物みたいに「作画が良くないと成り立たないアニメ」以外にも、巧い作画が見えるのは面白い これはちょうど先週までの「ゆるゆり」(特に3話や11話の芝居)や「うさぎドロップ」にも見られた キャラの可愛さを単純に増したり、心情を詳しく的確に表したりと、キャラの作画が良くなればそれが「キャラ立ち」に直結すると思う まあキャラ立ちという視点からいくと、 明らかに早苗が1番目立ってるんだけどね 早苗もそう
バカテス11話の破壊力は凄まじい 興奮覚めやらぬうちに感想を 雄二と翔子が学級委員の仕事をしている場面では同ポを主軸にすることで、普段と変わらない単純作業であり、基本的に雄二は翔子に無関心であることが表されている 見ていくと、同じ位置のカメラとカメラの間に出てくる、 ○×ゲームや時間割、黒板はこれが日常的なものであることを強調しているし、 翔子がぼっちだと説明する雄二の回想も 常套手段ではあるものの自分に冷ややかな人達を同じ暗い色で描いたり、 翔子だけでなく雄二も独りであることを強調した大胆なフレームを使ったりしている 後半にも同ポは使われている 具体的にはこれら キャラクターの配置や身振りに、気持ちや状況、場面の変化が窺える 他にも、時間が動き出す前後にある雄二の横顔の同ポは、過去雄二のダークサイド堕ちを強調している 他の面白い演出として、上級生の嫌がらせを翔子が目撃するシーンが挙げられ
メモ的羅列でまとめ ゆるゆり11話は、「1話時点で俺がイメージしてたゆるゆり」に1番近い ゆるゆりは太田雅彦×動画工房ってことで、特徴的なカメラワークとサクガサクガした感じとの融合したアニメになると思っていて、 その期待に応えてくれたのが、1話と11話 例を挙げると、この4人の一連 長い間横のショットだけで続ける 幼女をパタパタ動かさないと「手抜き作画」呼ばわりされてしまうような場面も巧く見せる フォーカスで注目の対象を変える いかにも演出回臭い ミルキィみたいに表情をクルクル変えちゃう 落ちる瞬間の足と、落ちた後痛がってる様子だけ見せれば良い物を、こんなにも難しくかつ魅力的に描く カメラとキャラの位置をぐちゃぐちゃにして視聴者を混乱させる 凄く面白い 俯瞰でたっぷり動かす 今までに無い暗さと今までに無い明るさで、ごらく部メンバーの気持ちを強調する 演出と作画が互いに高めあう、ゆるゆり
ピングドラムさん9話がもう、息が出来ないくらい素晴らしい出来で怖い やっぱり斬新で面白い演出 「シャフトっぽさ」と「ピンドラっぽさ」 シャフトっぽさ、もっと言えば化物語っぽさが凄く濃い回だった でも、だからといってこの9話が密度の高いシャフトなのかというと、それは違う 説明すると、図書館に入って受付の人と話すあたり、 ここまでは「ピンドラっぽさ」が強い 感覚的な話ではあるが このように印象的な何かを続けざまに見せるのはピンドラによく出てくる しかし、陽毬が3号を追いかける周辺からは、明らかに「化物語っぽい」のである この場面の後陽毬は異空間に入り込んでいく 「ピンドラ演出」と「シャフト演出」が物語の境目であり、場面の境目になっているのだ 画面的に場面の境目を意識した演出は他にもある 回想シーンに入る前兆として光が点いて、スポットライトが2人を照らすものや、 陽毬の核心部分に近づくにつれて本
流石や! 山内重保は格別や! 観てて気持ちいいと言うか、シビれると言うか 山内演出に詳しいわけではないけど、書かずには居られない 恐ろしくキテルアバン アバンも全体的に凄いけど、特にこの一連は何度リピートしても飽きない これぞ山内演出 BGM、効果音、動き、そして目まぐるしく移り変わる映像の全てがただただ巧い 最後の全体像にたっぷり余韻を持たせた後、決めてに処理をかけてこの表情 もう唸る他あるまい 双海姉妹の見せ方 これにも独特なものがある 「後ろ髪を引かれる」がぴったり当てはまる様子 部屋に突然入って響を探すカットでは、これでもかというほどピアノ前の空間をぽっかり空け、思い切りかけ回らせる 亜美と真美が大きく、雪歩が小さく描かれ、右からのPAN 雪歩の怯える様子や、あくまで双子メインであることが見える良カット リンゴで世界を革命 剥かれてる途中のリンゴがCMを経て、 時間経過を表す 他に
嬉しいことにゆるゆりが人気らしいので、俺もなんで人気になったのか少し考えてみた 後半は多段式ヒットアニメについて まずはゆるゆりが人気な理由を考えてるブログ記事を引用すると、 ゆるゆりが“来る”と感じられた理由は、これはもうこれまでの蓄積による総合判断と言うほかないのだが、敢えてそれを言語化して列記すると、例えば以下が挙げられるだろう。 キャラクター原画の良さ 作画の丁寧さ キャラクター・ダイバーシティの適切さ 各キャラクターの設定のうまさ 適切な声優の起用 『ゆるゆり』は、似たような日常系ジャンルのヒット作である『けいおん』や『らき☆すた』との対比で、その特徴を語られてもよい。すると、上記のポイントは、『けいおん』や『らき☆すた』が等しく備えていた特徴でもあることに気づくだろう。 「ゆるゆり」ここに来てようやくブレイクの予感 - エリート・ノベルゲーマーの憂鬱より こんな感じに理由は5つ
当たり前すぎて流してしまうような普通の演出のおさらい 5話 バカテスではほとんどの場面でトーンが使われてる 左側に入れることで画面を制限し、少し右側に目が行くようにして 上手下手に繋ぐ 座っていて位置の低い下手の男子と立っていて位置の高い上手の女子 平面的な構成ということもあって、上下関係がはっきり現れている 下から撮って威圧感が出てるショット でもこれ鉄人何メートルあるんだよ… 6話 姫路さんと美波が並んで殺しにかかって来るシーンは多い このデジタルなオーラ+レイプ目と身長逆転はバカテスならでは 右上の明かりに沿うようにトーンを配置 下部の画面に並行なトーンで上に誘導 もちろん4人の顔とガッツポーズはこのトーンより上 肉弾戦バトルな構図 下にちゃっかり光源を置いてあるのが面白い 7話 俺にこのまとめを作らせた張本人 枠を狭くとってバックに夕焼けを置く 横に入る棒のおかげでBLっぽさが和ら
実は今まであまり面白さが掴めてなかったアイドルマスターだけど アニメ アイドルマスターにおける主観の排除 を読んで、意識しながら観たら、意外と面白いと感じられるようになった でもどんな所が面白いのかと言われたら、原作をやってもないのに「原作ファンを楽しませようとしてる所」と答えることになって、それはそれで考え物なんだけれども 本題に入って、その楽しませようとしてる所っていうのは例えば このシーン周辺に見える 普通に観てる分には―ただのプロデューサーの失敗例その2でしか無いが この場面における信者的意味には、 「今のところあまり目立ってないやよいちゃんが映ったこと」 「やよいちゃんが高所恐怖症で可愛いこと」 「『その仕事だったら、真か我那覇さんの方が向いているのでは…』に共感出来ること」 というのがあると思う 俺はゲームをやってないから、やよいちゃんがそもそも一度も登場しなくても、 理由が迷
アイマスを観て、このつまらなさは一種負の遺産になると思い、それであえて批判的に イントロダクションとはその意味に沿うと、そのアニメの紹介文であり、導入部分だ アイマスは根本から間違っていると思ったから、今回はそこに注目 原作未プレイ組なりの考え イントロダクションに見るつまらなさ なにはともあれ、まずは http://www.idolmaster-anime.jp/intro/index.html から全文を引用 アイドルプロデュースゲーム「アイドルマスター」が待望のTVアニメ化! 2005年7月、ゲームセンターのアーケード版から、その第一歩を踏み出した『アイドルマスター』。 プロデューサー(=ゲームのプレイヤー)の皆さんからの熱い応援に支えられた『アイマス』は、 それから毎日夢に向かって進み続けた。 漠然とじゃない、意図的なその歩みは瞬く間にアーケードからXbox 360、そしてPSPや
1、2話はコンテ的で3話は作画的だった「ゆるゆり」 4話は記号的(つまりはコンテ的)な部分が多かったように感じる 桜井弘明監督の作品の監督以外がコンテ切ってる回、みたいな印象を受けるものも これは見た目だけの印象であって、桜井監督独特のテンポとかそういうのは抜きでだが 具体的には が1番今回のゆるゆりを表しているように思える 枠の中にキャラが居る上に、枠内は緑だけど枠外は赤になっているのはこの2人の感情の差が現れている そして怒りマーク 枠の中にキャラが居るってのは とか今回は多かった これが一種桜井弘明的な感じがする 放送中の「猫神やおよろず」で言うと みたいな感じ もっとも、猫神の2話は佐々木奈々子さんで、ゆるゆりと巧さを比較されると辛い部分もあるけど 色で感情を表す、つまり表情でない見た目で感情を表現する ってのも多かった 逆の色を使ったものは 2話でもあったが 例えば4話の良かった
バカテス超面白い 今回のバカテスではっきりしたのは 大沼監督率いるシルバーリンクは「シャフトっぽい」のではなく、「シルバーリンクっぽい」に変わったことだ 具体的にはシャフトでよく目にした顔のアップは少ないが 文字を使った演出、特に こんな、文字をアニメの一部にしたものが増えてる 化物語で言う蟹の周りを文字が回ってるようなタイプの文字が増えてると思う これは1期からだけど、色がシャフトとは違うのも「シルバーリンクっぽい」と言える 最近のシャフトにもその傾向はあるだろう 新作アニメの「電波女」「まどか」「それ町」を見ると 「顔アップ」的なシャフト成分はそのままだが、色をベタ塗りしたり文字を使ったりするものは減っている シルバーリンクもシャフトも、一括りで「シャフトっぽい」と言われないように変化しているみたい その上でキャラを見せることも忘れない 1話完結のラブコメであって、「今回は〇〇回だった
ゆるゆりの凄さを一言で表すと「手が込んでる」 以下、その素晴らしさについて解説 OPが大事件 説明するまでもないけど、中毒性の高いOP 頭が空っぽになったときには「ゆっりゆららららゆるゆり!」か「ソーナンダロ ソーナンダロ」が流れる仕組み 特に「ゆっりゆららららゆるゆり!」部分で4人がリズムに乗ってるのが良い 表情が大事件 表情が凝ってる 動きのある良い作画の中でちゃんと可愛く見えるように作られてるのが良い 可愛く見えるのがこういうアニメでは重要だものね もう一つ表情で気に入ったのはこれ ここまでは、京子が百合ってだけな感じですすんでたけど ちなつも百合だったという衝撃展開 公式の相関図を参照すると どこまでキャラが増えるのかが楽しみ 女オンリーのアニメは普通、女の子同士がgdgd遊ぶ様子ばかりになりがちだけど 百合要素が入ることで一転する 普通の男女が出てくるアニメとはまた違った楽し
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