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おみそ汁
huwanagaru.hatenablog.com
40歳を目前にして再び自我を拡散させている私が云うのも変ですが、人生には意味など無いと、割と若い頃から思っています。 この世に生まれてきたことそのものに、目的も意味も無い。 若かりし頃の私は、そんなこともお構いなしに「価値のある生き方」とやらを求めてふらふらしておりましたが、結局何一つ身につけることなく現在に至っています。 ふーたらふーたらさまよっていた頃の私は、「折角だから何か価値のあることでもやらかしたい」とか、「無意味に生きていくのは勿体ない」という功利的な考え方に支配されていました。要するに、「一回しかない人生でわけのわからん変な選択をしてみっともない失敗するなんて大損だ!」てなことを考えていたわけですね。なんともケチだなあ。 で、20歳前後で一度自分が何者なのかわからなくなって、そんなさもしい裸の自分に気付いたのでした、めでたしめでたし。 …と、話はそこでは終わりません。 実によ
戦争や強制収容所に関する本を読むのはなかなかしんどいのですが、どういう訳か、私は学生の時分から時折そういった種類の本を読まなければ気が済まない、奇妙な強迫観念を持っているようです*1。 フランクルの『夜と霧』は、強制収容所に関する本としては(そう云ってよければ)古典の部類に入るかもしれません。しかし、私は迂闊にもこれまでこの本をきちんと読んだことがありませんでした。改めてちゃんと読んでみようと意を決して図書館の書庫から出してもらったのは、昭和31年に刊行された、殆ど破れかけの本。しまった、新装版にしてもらえば良かった。 ナチスが設置した強制収容所で何があったのかについては、どう考えても私の言葉では射程が短すぎて捉えることができません。この本の長い長い解説には、それこそ詳細に書かれていますので、そちらを読んでいただく方が賢明でしょう*2。 私の興味は、心理学者であるフランクルがそういった絶望
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