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俺、北条早雲なんて名乗ったことないんだけど!?戦国の火ぶたをきって落とした伊勢新九郎宗瑞の人生 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
戦国時代の始まりはどこからだろうか。多くの人が思い浮かべるのが「北条早雲」のことだろう。しかし、... 戦国時代の始まりはどこからだろうか。多くの人が思い浮かべるのが「北条早雲」のことだろう。しかし、北条早雲にはもうひとつ名前がある。それが「伊勢新九郎」だ。一体何者なのだろうか。その生涯に迫ってみよう。 実は岡山県生まれだった北条早雲 北条早雲は備中の国荏原荘(現在の岡山県井原市)の領主であった伊勢盛定の子として生まれた。生まれた年は諸説あり、正確にはわかっていない。12歳ごろに元服し、伊勢新九郎盛時と名乗る。その後、京都の伊勢本家に異動し、当時の将軍・足利義政の弟である足利義視(よしみ)に仕えるようになった。 それからしばらくして、1467年に「応仁・文明の乱」が勃発。京都の町のあちこちに火の手があがり、戦乱の世となった。義視は伊勢に逃げ、早雲もそれに従ったという説があるが、真偽のほどは不明である。同じころ、京都にやって来たのが駿河の守護大名・今川義忠だった。義忠は新九郎の姉妹を見初め、結
2020/06/29 リンク