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ナラティヴであることの傲慢さ。
「大きな物語からデータベース消費へ」とは東浩紀氏の提唱した新時代の、つまりバズワードで言えば「ミ... 「大きな物語からデータベース消費へ」とは東浩紀氏の提唱した新時代の、つまりバズワードで言えば「ミレニアム世代」の概念だが、これが様々な分野で散見できるようになって来た。 大きな物語、すなわちナラティヴであることは現代においては必要とされない。必要とされるのは「構成要素」なのである。 音楽ストリーミングを例に取るとわかりやすい。現代に流行るのはEDMであり、アディクティブな「一曲」である。こういった消費をアレクサンドル・コジューヴの言葉を借りて「動物化」と東浩紀は言った。 しかし、人々は消費するだけで終わるわけではない。 消費した次に、その一曲一曲を自分なりに「編集」してプレイリストを作るのだ。 考えてみると、クリエイター側から提供された「物語」は必要とされなくなったが、消費者側(消費とわざとここでは言いたい)は、物語ではなく、構成要素をバラバラに受け取り、そのあと、自分なりに「編集する」こ