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哲学と共通了解|筑摩選書|西 研|webちくま(1/4)
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哲学と共通了解|筑摩選書|西 研|webちくま(1/4)
哲学は、「根源的真理」を問うものではない。その最大の目的は、一人ひとりの生き方と社会のあり方をよ... 哲学は、「根源的真理」を問うものではない。その最大の目的は、一人ひとりの生き方と社会のあり方をよりよくすることであり、その方法は、プラトンが描くソクラテスにはじまり、フッサールの現象学にて真価を発揮した「対話」である。そうして哲学は、お互いが納得しうる「共通了解」をつくりだす――この10月に刊行された『哲学は対話する』(筑摩選書)は、「対話としての哲学」を思考してきた西研氏の十年来の研究の集大成。ここに「はじめに」を公開いたします。 この本で私が示したいのは、次のことだ。 1.哲学は「根源的真理を問うもの」ではなく、「根源的真理をめざす悪しき哲学(形而上学)を解体しようとするもの」でもない。哲学の最大の課題は、ものごとの「よさ」(なぜよいのか・どういう点でよいのか)を問うことにある。(哲学の課題) 2.そうすることで、一人ひとりの生き方と、社会のあり方とを「よりよき」ものにしようと配慮する