ニュースを読み落としていたので今日まで知らずにいたのですが、年始に曹洞宗大本山永平寺の貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師が亡くなられていました。享年106歳。 もう4年近く前、2004年6月12日に放映された NHK スペシャル「永平寺 104歳の禅僧」という番組で、その人となりの一端を見て感動していたのを昨日の事のように思い出し、ユビキタス・キャプチャーしていたそのメモを探し出してきました。 この NHK スペシャルでは永平寺についての説明と、住職の毎日を紹介するとともに、住職の貴重な言葉をいくつも映像で記録... > このページを見る
最終更新時間:
2008年01月20日23時21分
みんなのブックマーク 人気(0) 新着
-
なるほど。 RT @toriuzura: 「「いつ死んでもええ」というのは悟りではない。悟りとは、平気で生きる事。」居つ死んでもいい、は覚悟。/「一生学べ」永平寺106歳の住職の言葉から
- 人生
-
"「いつ死んでもええ」というのは悟りではない。悟りとは、平気で生きる事"
-
「悟りとは、平気で生きる事。」
1 RT
- “奇を衒うのが禅なのではなく、スリッパをきちんと脱ぐといった当然のことを黙って実行することが禅である。”おもろい。
- Think
- 言葉
- "自然はほめられても、ほめられなくても、時がくれば花を咲かせて、やがて去ってゆく‥環境と私とは一つである‥心の有り様はすべて外にでる‥一生続けたなら、それは一生の真似‥悟りとは、平気で生きる事"
- 考え方
- [!GTD::資料(いつか読む)]「一生学べ」永平寺106歳の住職の言葉から | Lifehacking.jp
- 環境と私とは一つである。自分のおかれた環境を大事にすることは、自分を大事にすること。そして逆もまた然りなのだ。
- 私には名前があるが永平寺さんと呼ばれたなら、私は「はい」と返事をするだろう。このように環境と私とは一つである。自分のおかれた環境を大事にすることは、自分を大事にすること。
- 「学ぶ」とは「真似る」こと。一日の真似は一日の真似事にすぎない。二日の真似は二日の真似にすぎない。一生続けたなら、それは一生の真似になるだろう。続けるには、死ぬ気でやる事だ。
- 坊主って結構いいこと言うよね。
- 只管打坐
- ニュースを読み落としていたので今日まで知らずにいたのですが、年始に曹洞宗大本山永平寺の貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師が亡くなられていました。享年106歳。
- : 俺のテーマもそうだ
- 花なら花を咲かせよ、虫なら音を奏でよ、というのと同じほどに「当然すべきこと」 に気づいていない自分が、少しでもそれに気づくための気付け薬




![永平寺 「104歳の禅師」・「修行の四季」 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51G8G3Y8J6L._SL75_.jpg)



