もしかしたらパラドックスでも何でもなくて、「こうだよ」という、当然の説明があるのかもしれないのだけれど。 恐怖の使いかたについて。 ジェットコースターの怖さ ジェットコースターのコースは怖いから、あえて恐怖を楽しみたい人たちがあれに乗る。 ジェットコースターのレールは、それでも上手く作られていて、乗客に恐怖を提供しつつ、理屈の上では絶対に脱線しないような構造になっている。 「脱線しない」という前提があったときに、恐怖が増すと、あの乗り物の楽しみかたが、より多彩になる。 ジェットコースターがより「怖く」なる... > このページを見る
最終更新時間:
2010年10月21日11時32分
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感情の振れ幅・感情体積に着目すると、似たような着眼ポイントありそうな。 http://finalf12.blog82.fc2.com/blog-entry-511.html
- どれだけ声高に怒鳴っても、むしろ子供はもっと暴れて、学級崩壊はおさまらない
- この場合、恐怖ではなく安全度に注目すべきなのだろうか?
- 個人とみんなの話が少し絡むかも。
- 米軍のロボット兵器投入のような非対称な戦争って、我々の日常生活空間をテロの場にします宣言だよなぁ。と看板を出してみるテストw
- ファイト or エスケープ
- 恐怖自体(教師の怒声)や恐怖へのカウンター(生徒の行動)が、恐怖の元(教師)に作用するなら、つまりそこに相互作用があるなら、収斂・拡散以外に、周期的な変化やカオスの存在も当然想定できる。生徒間もしかり
- あるある。多分「体感的な恐怖」と「学習的な恐怖」があって、パラドックスというよりも現代ではその2つが必ずしも結び付かないことを皆知っているからこそ、恐怖を快楽として「消費」することができるのだと思う。
- ターゲット以外をグルにして,実は本人以外は本気で怖がってる…ってことに気づくと,その後,何も信じられなくなるかも知れない。
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人は矛盾を好むものですよ。「知っている知らないこと」を知りたがったり,「経験したことのある経験したことのないこと」を経験したがったり。








