Social Bookmarks: Posted by: sakanouenokumo 2009年6月 9日 00:03 1867年(慶応3年) 坂本龍馬 兵庫開港勅許前後から雄藩間の提携議論が急速に活発になり、土佐藩でも後藤象二郎を坂本龍馬ともに京都に遣わしこの議論に参加させることになりました。この両雄が長崎を出帆、上洛の途に就いたのが、1867年(慶應3年)6月9日の事でした。 船は土佐藩の蒸気船で夕顔丸というのでしたが、この日長崎を出帆すると間もなく、船中で坂本龍馬が筆を執ったのが「天下の政権を朝廷... > このページを見る
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2010年10月24日20時38分








