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装丁を味わう
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遅ればせながら、うちの嫁さんをブログ画像にしてみました。長瀬湊といいます。どうぞよろしくお願いします。 美の追求は他人に対する義務である さて、このブログ画像からは多くの美が読み取れます。被写体の美はもちろんのこと、背景美、装飾美、衣装の美、薔薇の美、画像全体の美などがあります。美にもいろんな種類があるということです。 美を創り上げるには少なくともスキルが必要です。それも精巧なスキルが必要です。 アランは幸福論の「幸福にならねばならない」で次のようなことを述べています。幸福は見た目にも美しいものである。これこそ最も美しい光景である。また、こんなことも述べています。幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。(中略)しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。(中略)幸福になろうと欲しなければ、
区切るということ 皆さんはどういうときに区切りますか? 精読する時、何かを強調したい時、コンパクトにまとめたい時、画像をトリミングしたい時など、いろいろあるかと思います。 区切る目的は分かりにくい情報を自分なりに分かりやすくするためです。言い換えると、自己の目的に合わせて認識したい情報を認識しやすいようにするためです。 もう一つ区切る目的があります。それは、相手に伝えたい情報を分かりやすく伝えるためです。何か会話をする時に手を動かしたりしますね。あれも区切りの一種です。自分なりに分かりやすく区切っているようにも見えますが、相手に「なんとなくこう」というイメージを分かりやすく使えようとしているようにも見えます。とにかく、区切っています。 しかし、区切っているということを知らなくては(認識しなくては)それは区切られた情報とは言えません。相手の会話に集中しすぎて手を動かしていることすら認識しない
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