誰かが転んで怪我をした原因を人が強く訴えるとき、「重力が原因だ」とか「自分が歩いていたのが原因だ」とは言わない。不注意で自分にぶつかった人が原因、道の穴=行政の怠慢が原因、自分を急がせた会社が原因、というように、因果関係は責任のなすりつけ合いゲームとして設定される。 約3時間前 Twit for Windowsから 11人がリツイート > このページを見る
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2010年10月21日11時26分
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- 「誰かが転んで怪我をした原因を人が強く訴えるとき、「重力が原因だ」とか「自分が歩いていたのが原因だ」とは言わない。」「因果関係は責任のなすりつけ合いゲームとして設定される。」
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原因追求が責任追及へと変化することは、よく見られる現象。
- 因果関係の分析って、本当は問題の解決のために行うもののはずなのに、責任の擦り付け合いや、自分の利益のためにやっている人が多いってことかな。人生にはオブジェクト指向が必要だと思う。
- ポジショントークがいきすぎてなにが言いたいのか自分でも分らなくなってる例。
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ポジショントークがいきすぎてなにが言いたいのか自分でも分らなくなってる例。
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@BOT_candle
YMD[101022]ポジショントークがいきすぎてなにが言いたいのか自分でも分らなくなってる例。
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- どいつもこいつもポジショントークしやがってうぜぇということでしょうか。
- そんな屁理屈言うのフロムダさんだけだろ
- 人は原因より責任を重大視する。つか「問題」は人間/社会関係のなかでのみ起こり、そこにおける論理で解釈されるのはある意味当然。自然的な事実性とは別に、社会関係の論理においても固有の「客観」は存在する。
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みんな歩くし、重力はみんなにかかってる。フロムださんにしては下手なたとえだぬ
- 他の選択肢がありえたということが原因というものの前提となっている
- そして責任の追及が原因の究明を困難にする場合もあったりする。飛行機事故とか。
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福知山線脱線事故の原因は5分10分電車が遅れるだけで鉄道会社に大量のクレームが入る寛容さの足りない日本社会だと考えてますが、何か?
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それがいいとか悪いとかじゃなくて、人が「原因」とか「結果」という言葉を使うとき、それが利害・感情・価値観から独立した客観的な事実であるかのように言う人がいるけど、それは違うんじゃないか、ということ。
- 損害の衡平な分担という見地から他人にも責任を求められる場合に求めるのは何の問題もないと思うが?/↑ナルホド。まぁ普通は誰々のせいってどういうことか?なんて考えないもんなぁ
- 因縁関係の複合的な事象に、一元的な因果関係を主張するという現象の背景について。
- なるほど。。。
- スパコン予算に割り振られたせいで、大学教育予算が削られたとかなww








