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●[書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ
デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけ
である。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。
あなたには
自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳の
プロセスの、ただの
傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は
脳科学を学んだ人には常識の部...
✎ 最近ついたコメント ✎
hard_boiled06 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意
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obacan 脳と法についての議論の論点を取得するために読みたいとおもう。 / 先日日経の書評欄に紹介されてたのこれだっけ?脳科学者の始祖の伝記タイトルがわからないよう。 / 『デカルトの誤り』だった
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KaeruHeika 科学 自由意志などない。複雑な生体的Input/Outputがあるのみ。だから環境や制度が重要。しかし、それらを科学に即して改善するには、道徳・善悪観という壁を、人々が超越する必要がある。高度な科学教育で。
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takunama science ニーチェが、自由意志とともに不自由意志を否定せよ、みたいなことを言ってたのを思い出したり。(犯罪に限らず) "責任" は、究極的には自由/不自由と独立したものに。
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nanakoso 法律 科学 生物 雑学 本 自由意思は脳の出力する「処理結果」であり傍観者である。そのとき刑法はどうあるべきか
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nebokegao 書評 「自由意志というのは存在しないというのは、ほぼ脳科学の定説/身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認のような意味しかない」
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