ヒマラヤ山脈の北側に位置するチベットは、19世紀後半から20世紀にかけて、ユーラシア大陸に覇権を争ったイギリスやロシアの侵出を警戒し、外国人の入国を禁じていました。その一方で、政教一致の方針に基づき、生まれ変わりにより継承される転生僧ダライ・ラマが統治することから、知られざる仏教の聖地と捉えられ、世界各国から探検隊が派遣されました。日本からも仏教の源流を求める僧侶が競って当地を目指すなか、明治34年(1901)に日本人として初めてチベットの都ラサに入ったのは、現在の大阪府堺市出身の僧、河口慧海(1866~1945)でした。その偉業は旅行記によって広く知られるようになり、明治時代の日本にチベットブームをもたらしました。 注目されたのは旅行記だけではありません。帰国後に東京美術学校(現東京藝術大学)で開催した展示会は、人々に驚きを与えました。その後、昭和48年(1973)に慧海コレクションの一